近松半二

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ちかまつはんじ


歌舞伎

浄瑠璃作者。儒者穂住以貫の子で、父が近松門左衛門と親交があったことから浄瑠璃の世界と関係を持ったか。人形浄瑠璃は宝暦頃(1760)を頂点として、以後次第に歌舞伎におされて衰えたが、その最後を飾ったのが竹本座立作者の半二である。 宝暦から天明にかけて約50作品を残した。舞台効果に特徴のある雄大な作風で、歌舞伎的手法が色濃い。そのため、多くが歌舞伎化され、現在も数多くの作品が上演される。天明三年(1783)五十九歳で没したといわれる。 代表作:妹背山婦女庭訓|奥州安達原|近江源氏先陳館|伊賀越道中双六|本朝廿四孝