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かがみやまこきょうのにしきえ [[Kagamiyama Kokyono Nishikie]] ---- =歌舞伎= [[浄瑠璃]]、十一段、[[時代物]]。容楊黛(ようようたい)作。天明2年(1782)森田座初演。 享保九年松平周防守の江戸藩邸で、局(つぼね)の沢野にののしられて自害したお道の召使いおさつが、主人の仇を討ったという事件が起ったが、これに加賀騒動を織り込んだ作。現在では六段日「草履打」、七段日「長局」「奥庭」が上演されるだけ。 足利持氏の局岩藤は、かねてより兄弾正と心を合せて、お家横領を企てていたが、その密書を中老尾上に拾われたため、尾上に落度を作らせ、恥をかかせた上に、草履でさんざんに尾上を打ちすえる(草履打)。 尾上は余りの口惜しさに、自分の部屋へ帰ってから岩藤一味の悪事を書き残して自害する。使いの途中で、召使いのお初は不吉な烏鳴きの声に不安を感じて急いで引き返すと、すでに尾上はこと切れていた。お初は遺恨の草履と、主人の血汐に染まった懐剣を手に、岩藤の居る奥庭へと走る(長局)。 岩藤の前へ現われたお初は、草履を岩藤の頭に乗せてうらみの数々を述べ、刃を合わせてついに主人の仇を討つ。岩藤一味の悪事は露見して、お初は賞せられて二代目尾上の名を継ぐ(奥庭)。 女ばかりの芝居で、女形の技価の見せ所。昔は二月が御殿女中の御宿下りで、こぞって芝居見物したので、この作が弥生狂言に上演されるしきたりになった。なおこの他加賀見山の脚本では、「骨寄せ(こつよせ)」と俗にいわれている「[[加賀見山再岩藤]]」(かがみやまごにちのいわふじ)(安政7年(1860)、[[河竹黙阿弥]])がある。また、「加賀見山」は「鏡山」とも書く。 [[Category:歌舞伎|かがみやまこきょうのにしきえ]]
加賀見山旧錦絵
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