片山家は丹波から出たと言い伝えられておりますが、初代九郎右衛門豊貞の生年月日、生地、京都へ来るまでの事跡はよくわかりません。とにかく、京都に出、観世流の謡や能を習って、かなりの実力もあり、観世屋敷でも重用されていたようです。没年は享保十三年(一七二八)です。二代目九郎右衛門(初め伝七、のち幽室)は若くして江戸の観世宗家のもとへ修業に出、十四世織部清親の教えを受けました。織部は十五世元章の父で、今の銕之丞家の祖、織部清尚の父にも当たる人です。現在、片山家には幽室筆の型付が多く残されており、元章以前の観世流の古い型が伝わっています。片山家が能の家として不動の位置を占めるようになったのはこの人からです。以来先代九郎右衛門博太郎(現、幽雪)まで九代をかぞえ、当代九郎右衛門(清司)は十代目になります。



片山家は観世流の関西探題であるとか、所司代格であるとか言われていますが、こうした足利幕府、徳川幕府の職名を、観世流が流用したり、また正式に任命していた訳ではありません。 京観世の祖、服部宗巴(福王盛親、九世黒雪の甥)のあとは、次男の宗碩が継ぎ、観世太夫の委嘱で京都における流儀の諸用向の世話をしていました。宗碩歿後は、未亡人の智清が取り仕切っていましたが、老年になり、初代九郎右衛門が代行するようになりました。それがそもそもの起こりなのです。 そして、幽室が江戸から帰ると、その実力と人望から自然と、関西の観世流総支配人的な地位におされていったようです。以後、代々片山家の当主が、そうした役割を勤めてきたのです。



観世宗家と片山家とが、親族関係になったのは、明治になってからです。すなわち二十二世観世清孝の三男元義が、六代片山九郎右衛門晋三の養嗣子となり、晋三の娘、光子と結婚し、のち片山家七代目を継承し、片山九郎三郎を名乗ります。兄の二十三世清簾には実子がなかったので、元義の長男清久を養子とします。これが後の二十四世左近です。 左近の弟が片山博通ですから、左近の嗣子、前宗家の元正師と博通の子博太郎とは従兄弟に当たる訳です。



禁裏御能というのは京都御所で、天皇家が主催される能のことです。表の能、御内々の能の二種があって、表の能は公式の催しで、春秋二回と即位、改元などの御祝儀の能。御内々の能は、臨時の御慰みの能です。御所からの御召しで、京都在住の能楽師が参勤するのですが、大変名誉なこととされており、片山家は代々この御役を勤めていました。最近発表された資料によると、明和九年(一七七二)から文久元年(一八六一)までの九十年間に、禁裏で上演された能が八九二番ありますが、そのうち片山家の者が演じたのが二三八曲、二八%でトップ、ついで野村家(現金剛家)が一八八曲、そのあと川勝家(金剛流)堀池家(喜多流)竹内家(喜多流)と続きます。この数字からも片山家が禁裏御能に重要な位置を占めていたことがわかります。



能の「三輪」に〈白式神神楽〉という小書(特殊演出)があります。これは今では、観世流の小書の中に編入されていますが、元は片山家で作られたのです。ことの起こりは、関白鷹司政通が自分の還暦の御祝儀に「三輪」の〈誓納〉を勤めるよう、五代目の片山九郎右衛門豊尚に命じました。しかしこの小書は、家元の一子相伝で、弟子家には許されぬ由を申し上げて辞退しました。それでは〈誓納〉に匹敵する小書を作れということになり、在京の囃子方も参画して〈白式神神楽〉という小書を作成、嘉永二年(一八四九)に初演しました。関白殿下のお声がかりとは言え、一応それの許される立場にあった流儀内での片山家の位置、御所内とのつながりの深さなどが伺える一つのエピソードです。



井上流と片山家との関係は、六代片山晋三が吉住春子と結婚したことにはじまります。井上流は初代が井上サト、二世はサトの兄の子のアヤが継ぎます。三世は、サト、アヤの高弟であった春子が推されました。もっとも春子が三世八千代を名乗ったのは晩年九十六歳の時で、それまで片山春子で通していました。都をどりを創始して祇園町との関係を深め、井上流を今日の隆盛に導いたのはこの人の功績です。昭和十一年百一歳の長寿を全うして歿しましたがその名人芸は高く評価されています。 そして三世の高弟・愛子が春子の孫、八代片山博通と結婚、博太郎、慶次郎、元三郎(杉浦家養子となる)の三兄弟を生みました。愛子は昭和二十四年、家元を継承、四世井上八千代となりました。天成と努力によって早くからその実力を認められ、三十年に重要無形文化財各個指定(人間国宝)に、三十二年には芸術院会員に推され、平成二年には文化勲章など、数々の栄誉を受けていることはよく知られているところです。 平成十二年五月十四日、孫の三千子が家元を継承し、五世井上八千代に、四世八千代は井上愛子となりました。四世八千世・愛子は平成十六年三月十九日に九十八歳で亡くなりました。



かつては、井上愛子(四世井上八千代)が京舞で、その長男である片山幽雪(九世片山九郎右衛門)が能シテ方で、重要無形文化財各個指定(人間国宝)の認定を受けていました。そして、平成27年に片山幽雪の長女であり、井上愛子の孫である五世井上八千代が京舞で、重要無形文化財各個指定の認定を受け、片山家という一つ屋根の下から三代にわたり、三人の人間国宝を輩出することとなりました。