養老

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ようろう


画題

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解説

東洋画題綜覧

養老は滝の名である、元正天皇の御宇霊亀三年九月、天皇美濃の国に行幸、多度山の美泉を御覧あらせられ『符瑞書に曰く、醴泉は美泉なり、以て老を養ふ可し、蓋し水の精なりと、寔に惟れ美泉は即ち大瑞に合へり』と詔を下し給ひ、年号を養老と改め給うたこと、『続日本紀』『大日本史』等に見え、これから滝に養老と命名あらせられたといふ、又、此の里に孝子があつて、その父酒を嗜むので、常に貧しい中からも酒を買つて勧めて居る中、不図、此の霊泉に到りこれを汲むと酒の味がしたので喜びこれを父に勧めたといふ物語は、『古今著聞集』に載せられてゐる。

昔元正天皇の御時、美濃国に、貧しく賎しき男ありけり、老いたる父をもちたりけるを、この男、山の木草をとりて、そのあたひを得て父を養ひけり、この父、朝夕あながちに、酒を愛しほしがりければ、なりひさごといふ物を腰につけて、酒売る家にのぞみて、常にこれをこひて父を養ふ、ある時、山に入りて薪をとらむとするに、苔ふかき石にすべりて、うつぶしに転びたりけるに、酒の香のしけれは、思はずに怪しくてそのあたりを見るに、石の中より水ながれ出づる所あり、その色、酒に似たりければ、汲みてなむるに、めでたき酒なり、うれしく覚えて、その後日々汲みて、あくまで父をやしなふ、時に帝この事を聞し召して、霊亀三年九月日、其の所へ行幸ありて叡覧ありけり、『是則ち至孝の故に、天神地祇あはれびて、その徳をあらはす』と感ぜさせ給ひ、美濃守になされにけり、家ゆたかになりて、いよ/\孝養の心ふかゝりけり、その酒の出づる所を養老の滝と名づけられけり、これによりて、同十一月、年号を養老と改められけるとぞ。

滝は岐阜県養老郡白石村養老山中にあつて、高さ九丈、幅一丈と称せられる。

此の養老行幸、養老勅使、養老孝子は、諸家によりて画かるゝもの極めて多い。

円山応挙筆  『養老孝子』   横江竹軒氏旧蔵

狩野探幽筆  『養老』     川崎男爵家旧蔵

冷泉為恭筆  『養老勅使』   田村家旧蔵

橋本雅邦筆  『養老孝子』   某家蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)