領巾麾峰

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ひれふるみね


画題

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解説

東洋画題綜覧

松浦佐用姫の故事、佐用姫は大伴狭手彦の妾、宣化天皇の二年、新羅の任那に寇するや天皇大伴金村大連に詔しその子磐と狭手彦とを遣はして任那を助けしめた、狭手彦勅を奉じ任那に赴かんとして将に船、松浦潟を出やうとする時、佐用姫別れを惜み高い峰に登つて領布を振り招く、見るもの泣かざるはなかつたといふ、この故事『古今著聞集』にも出づ。

我が国の松浦佐用姫といふは、大伴狭手麿が女なり、男、帝の御便に、唐へわたるに帰に舟に乗りて行くとき、その別ををしみて高き山の嶺にのぼりて遥に離れゆくを見るに、悲しみに堪へずして、領布をぬぎてまねく、見るもの涙をながしけり、それよりこの山を領布麾峰といふ、この山肥前国にあり、松浦明神とて今におはします、かのさよ姫のなれるといひつたへたり、この山を松浦山といふ、磯をば松浦潟ともいふなり、万葉にそのこころの歌あり

とほつ人まつらさよひめつまごひにひれふりしよりおへる山の名

古来大和絵の好画題として画かれ、現代では岩田正巳にその作がある

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)