「賀茂競馬」の版間の差分

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2021年12月7日 (火) 19:12時点における最新版

かものくらべうま


画題

画像(Open)


解説

東洋画題綜覧

毎年五月五日、京都上賀茂別雷神社境内馬場で行はれた年中行事、今は六月五日に之を行ふ、馬場の距離は二百四十間で、騎士は二十人、裲襠に耳蔽附の冠を附け、左方は赤袍を着、右方は黒袍を着、人数が揃うと一同体息所から列を正して境内に入り、勝栗で神酒を受け、更に神殿に上つて奉幣、終つて埒内に入り各々一の鳥居から乗馬し、馬場の末から馬場本に至り、先づ一番を開始する、左右一匹毎に駆ける、これを空走〈そらばしり〉と云ふ、其後各併び馳せて勝敗を決する、これ古への真手結の遺風であるといふ、勝負の判者を念人といひ、馬場の左右の録所に座し、赤と黒の扇で勝負を示す、勝者は此の録所で絹料を受け、頓宮を拝して退出する、此の行事の沿革は堀河天皇の寛治七年を以て始まるといふ、『注進略記』に

五月五日競馬、人皇七十二代堀河院寛治七年、為五穀成就天下安全御祈祷始被寄十番二十疋馬料、例年被令行。

とある。

爾来全国の庄園から各々一頭の馬を出して毎年興行したが、応仁の乱以後廃絶し徳川時代に至つて再興せられ今に至つてゐる。

加茂競馬のこと、古く『古今著聞集』にもあり『塩尻』にもこれを記し、絵画にも多く描かる、主なもの左の如し。

年中行事絵巻             原本焼失

無款賀茂競馬屏風  (重要美術)   末次喬氏蔵

菊池容斎筆              波多野古渓氏旧蔵

狩野永納筆              武内金平氏蔵

伝俵屋宗達筆             三浦直介氏蔵

久隅守景筆              秋元子爵家旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)