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2021年12月7日 (火) 20:12時点における最新版

かくはん


画題

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解説

東洋画題綜覧

高僧の名、始め正覚坊と号し興教大師と諡す、肥前の人、桓武天皇五世の孫といふ、父武略あつて郷党の畏敬する所、母は橘氏、幼にして広沢成就院寛助に従て出家し長じて高野に入り、後高野に伝法院大伝法院等を創建したが、高野の衆徒と協はず、根来に避けて根来寺を再興し一乗山円明寺と号した、小野広沢諸流を究め事相を大成して広沢六流中伝法院流の元祖となつた、康治二年十二月十二日入寂年四十九、元禄三年十二月大師号を賜はる、天性画を能くし毎に諸仏の像を画き、又自己の像をも画いた。帝室博物館にその画像がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)