「行基」の版間の差分

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2021年12月7日 (火) 20:12時点における最新版

ぎょうき


画題

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解説

東洋画題綜覧

奈良朝時代の高僧、姓は高志氏、百済国王の後胤といふ、和泉大鳥郡の人、天智天皇の七年に生れ、十五歳にして出家し薬師寺に居り、瑜伽唯識等の論を新羅の慧基に学び、又義淵に従つて学ぶ、廿四歳の時、具足戒を徳光法師に受けた、行基行化を事とし、過ぐる処険難に遇へば橋を架し路を修め、某地の耕墾すべきを指し、某水の瀦灌すべきを点し、渠池を穿ち、堤塘を築き、計劃功績日ならずして成る、人民後世に至るまで之を徳とす、王畿の中、精舎を建つること四十九、其他諸州にも往々建立す、偶々沙弥を私に度するの罪に依り獄に入つたが忽ち大赦され、聖武天皇の敬重するところとなつて、天平十七年大僧正となつた、これが大僧正任官の初めである、二十一年、天皇菩薩戒を受く、依つて大菩薩の号を賜ふ、二月二日菅原寺東南院に入寂す、年八十二。  (元亨釈書)

行基の像は備中法眼幸守の筆に成るもの唐招提寺にあり、又、和泉の家原寺には「行基菩薩行状絵伝三幅」を蔵す、またその木像は久米寺に蔵してゐる。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)