蔡邕

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さいよう


画題

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解説

東洋画題綜覧

支那後漢の文人、陳留の圉の人、字は伯喈、六世の祖勲、平帝の時、郿の令となる、王莽これを臣としやうとしたが、山中に逃れて出でず、父の稜、また清白を以て聞ゆ、邕少くして博学、詩文をよくし、数術天文を好み、音律を操ること巧であり、又書を善くし篆隷は殊に秀でてゐたといふ、霊帝の建寧中、司徒橋玄府に辟されたが、出でて河平長に補し、徴されて左中郎に拝し書を東観に校し議郎に遷る、時に六経の文字、聖を去ること久しく謬多かつたので、後学の之を誤らんことを恐れ、熹平四年奏して勅許を得、自ら碑に書し、これを大学門外に建てた、邕また勅を奉じて聖皇篇を作る、篇成て鴻都門に詣りて上る、時方に鴻都門を修飾す、邕門下に待詔し役人の堊帚を以て悦んで帰り飛白の書を作る、又永字八法を作つて筆法の大祖と崇められたのは既に人の知る処、後、獄中に死す、年六十一、邕呉にあつた時、人家の竃で、桐の木の☆(火偏+發)音を聞き、その良材であることを知り、これを請ひ、これを以て琴を作つた、琴は出来たが、これに一ケ所焦げてゐる所があつたので、焦尾桐と号した、又柯亭に宿泊した時、その竹縁の竹を取つて笛を作つた処、その音妙を極めたといふ、有名な女詩人文姫はその女である。

蔡邕の竹縁の竹を取つて笛を作る処、その笛を吹奏する所、また好個の画題である。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)