菟道稚郎子

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うじの わきいらつこ


画題

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解説

前賢故実

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応神天皇の第六番目の息子。性格が温和仁徳で、阿直岐や王仁について勉強していた。経典にも精通しているので、皇太子に冊立された。天皇が崩御したとき、皇太子の兄の大鷦鷯尊が、叛乱を企む大山守のことを皇太子に密告したおかげで、皇太子は大山守を攻め滅ぼすことができた。その後、皇太子は菟道の宮殿に住みながら、大鷦鷯尊に譲位したくて、「大王が仁孝であるため、皇位を継ぐべきだ。それに、兄弟の上下および聖君と愚臣の順位があり、古今の典常である。大王は疑うべきではない。」と仰る。大鷦鷯尊は、「先帝が明徳のある弟を冊立し、天下を弟に託したのに、先帝の意志に違背すべきでない。」と固辞した。皇位が空いたまま、譲合って三年が経ち、貢献する者が献上の場所に迷う事態になっても、大鷦鷯尊は固辞し続ける。皇太子はついに兄の意志を変えることができず自殺してしまう。訃報を聞いて、大鷦鷯尊は菟道に駆けつけ、感情を抑えられず号泣した。三日後、皇太子は蘇り、死後のことを大鷦鷯尊に託して逝去した。菟道山に葬られた。大鷦鷯尊は即位し、仁徳天皇になった。

大山守征伐の歌

知破椰臂苫(ちはやひと) 于泥能和多理珥(うぢのわたりに) 佐烏刀利珥(さをとりに) 破椰鶏務臂苫辞(はやけむひとし) 和餓毛胡弭虚務(わがもこにこむ)

(『前賢故実』)