菅原梶成
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すがわらの かじなり
画題
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解説
前賢故実
右京の人。医書の黄岐家言に精通し、処方に長けていた。朝廷は、医学書を理解できる梶成を唐へ行かせて、医学に関する疑義を解明させようとした。承和初年、梶成は遣唐知事として唐へ渡った。唐から日本へ帰国する途中、船が暴風に遭い南海に漂流し、さらに賊に強奪されてしまった。死者が数人出たが、梶成は力一杯で抵抗したため、命だけが無事であった。承和六年、梶成は船を修復してから日本に帰朝した。海外で得た五尺の鉾一つ、片蓋の鞘のある刀一つ、箭一つを朝廷に献上した。これらのものは我が国の武器と違っていた。梶成は、承和十年に鍼博士になり、その後侍医に任命された。仁寿三年に外從五位下を叙せられた。
(『前賢故実』)