芳沢あやめ

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よしざわあやめ


総合


歌舞伎

屋号橘屋。京阪歌舞伎俳優。この名跡は四世まで続いたが、初世が著名。 初世(延宝元年-享保十四年、1673-1729)は大阪道頓堀の色子から初世嵐三右衛門の取立てで俳優となった。初め若衆方、次に立役、さらに若女形となり芳沢あやめと名乗った。元禄十一年の「傾城浅間嶽」で傾城三浦を演じ大成功、享保二年四十五歳の時俳優として最高位の「三がの津総芸頭」となる。容貌すぐれ、自然な女らしさを写すことに心掛け、ことに傾城事を得意とした。日常生活にも女になりきる精神的修業苦心談は、かれの言行を記した「あやめ草」にくわしい。 二世は長男、三世は四男がつぎ、ともに女形として聞えた。三男は明和安永期(十八世紀後半)の名優初世中村富十郎である。