聖武天皇
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しょうむてんのう
画題
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解説
画題辞典
聖武天皇は第四十五代の天皇にして、御諱は首、天璽国押開豊櫻彦尊、勝宝感神聖武皇帝と称す。文武天皇第一の皇子、大宝元年御降誕、神亀元年二月四日即位す、天平元年八月、夫人藤原安宿媛を立て皇后となす、是れ皇族以外にして皇后たるの濫觴なり、天皇深く仏教を尊信し、諸国に国分僧尼寺を建て、又東大寺を建立して総国分寺となし、丈六の盧舎那仏を鋳造す、その成るに当り、仏前に北面し自ら三宝の奴と称し給ふに至る。在位二十五年、位を皇太子孝謙天皇に譲り、自ら太上皇と称し、出家入道して勝満と号す、天平勝宝八年五月二日崩ず、御年五十六。
大和眉間寺に御画像あり。伝姉小路長隆筆御影(村山龍平氏所蔵)
(『画題辞典』斎藤隆三)
東洋画題綜覧
聖武天皇、御諱は首、天璽国押開豊桜彦尊、文武天皇第一皇子、御母は藤原不比等の女宮子、第四十五代の天皇、大宝元年御降誕、和銅七年六月元正天皇の太子となり、神亀元年二月四日御即位、天皇深く仏法を尊信し、諸国に国分僧尼寺を建て親ら経文を書写して各僧尼寺に納め、又東大寺を建立して総国分寺と為し、丈六の廬舎那仏を鋳造す、今の奈良の大仏は即ちこれである、その成るや仏前に北面して自ら三宝の奴と称し給うた、この他なほ諸処に寺院を建立し、土地を寄進せしめ給ふこと枚挙に遑もない、後、都を難波に遷す、御在位二十五年で位を皇太子孝謙天皇に譲り給ひ自ら太上皇と称せられ出家入道し勝満と号し給ふ、天平勝宝八年五月二日崩御、御歳五十六、大和国添上郡佐保村の佐保山南陵に葬奉る。 (大日本史)
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)