石清水

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いわしみず


画題

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解説

画題辞典

男山八幡宮(をとこやまはちまんぐう)を見よ。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

官幣大社男山八幡宮をいふ、京都府八幡町男山鳩嶺に鎮在、祭神は応神天皇神功皇后、比売大神の三座、清和天皇の御宇に創建せられたもの。

時山の御鎮座は貞観二年六月十五日、和州大安寺の沙門行教和尚神殿を造営しけり、行教は筑紫宇佐八幡宮に一夏九旬の間参籠して昼は大乗の経を読み夜は真言を誦して法楽せしに入幡宮御託宣あり、我王城の近に遷座して鳳闕を守護し国家を安泰なさしめんとのたまひ其夜行教の三衣に阿弥陀の三尊現じ給へり、沙門都に上つて此由を奏聞しければ、朝廷大に悦せおはしまし遂に此山に神殿を営て永く崇敬し給ふなり。  (都名所図会)

やはた山跡たれ初めししめの内に猶万代と松風ぞ吹く   後鳥羽院

なほてらせ代々にかはらぬ男山あふぐ峰よりいづる月影  後久我太政大臣

石清水八幡宮には、国宝石清水八幡縁起あり三巻よりなり、同神社の社宝となり、此の外京洛名所としてよく描かれ、又、都路華香にその作がある。

男山八幡曼荼羅図  大倉集古館蔵

(二)源頼義の逸事、天喜元年六月奥州の安倍頼時反したので鎮守府将軍源頼義追討に向ふ、同年六月五日衣川に向つた処、頼時の弟良昭大軍を以て之を迎へ両軍大に戦つたが旱天月余に亘つた為め頼義の兵渇に苦しむこと甚しく、大に悩む、頼義此の時、後漢の弐師が剣を抜いて岩石を刺しために飛泉迸り出た故事を思ひ神明に祈願をこめ弓を以て岩を突くと忽ち清水が湧出した、これが北上川の水源となるといふ。好画題としてよく画かれる。  (前太平記)

谷口香嶠筆  遺作集所載

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)