真木柱

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まきばしら


画題

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解説

画題辞典

根社は源氏物語の一巻なり、玉鬘の内侍の大内にありし折より、髪黒の大将専ら通ひ給ひしに、元来大将の北の方物怪に煩ひ玉ひ、或時たきかけして出でさせ玉ひと、傍にある火取りを大将に投げかけしに、御衣焼き、それより疎み玉ひ、遂に玉蔓を北の方にもうけ玉ふには至りしなり、内侍大内を出で玉ふ比、十二三の姫あり、朝夕の御籠愛のこと々て名残惜しく今はとて宿かれぬとも馴来つるまきの柱よ家を忘るなと詠み、ひわた色の紙に書き、はしらの割たる中へ笄のさきにてさし入れて出でけるとなり、是故に槇柱の名あるなり、源氏絵として画かる。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

源氏物語』五十四帖の一、光源氏三十八歳の十月から三十九歳の秋までを記してゐる。主な事件としては、髭黒の大将が、玉鬘の内侍の処へ通ふのを心妬く思つてゐた北の方が、物の怪に煩ひ、或る時炷きかけてゐた香の火取りを突然大将に投げつけたので、大将面白からず、これより北の方をうとんじ、玉鬘を北の方とするに至る、玉鬘の内侍が大内を去る時、十二三の姫がよく内侍を慕つてゐたのでその名残を惜しむ段が情趣豊かである。

姫君は殿いと悲しうし奉り給ふならひに見奉らではいかでかあらん、今なども聞えでまたあひ見ぬやうもこそあれと思すに、うつぶしふしてえ渡るまじと思したるを、かくおぼしたるなん、いと心うきなどこしらへ聞え給ふ、只今も渡り給はなんと待ち聞え給へど、かくくれなんに、まさに、動き給ひなんや、常より居給ふ東面の柱を、人にゆづる心地し給ふも哀にて、姫君はひはだ色の紙のかさね、唯いさゝかにかきて、柱のひわれたるはざまに、笄のさきしておし入れ給ふ。

今はとくやどかれぬともなれ来つるまきの柱は我をわするな

えも書きやらでなき給ふ、母君いでやとて

なれきとは思ひいづとも何により立ちとまるべきまきの柱ぞ

御前なる人々もさま/゙\にかなしく、さしも思はぬ木草のもとさへ、恋しからんことと目留めて鼻すゝりあへり。

と、ひはだ色の紙に歌を書き、柱の割れた処へ笄のさきでさし入れるなど細かい筆者の心いきで、源氏絵として好個の構図である。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)