江島

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えじま


画題

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解説

東洋画題綜覧

江島は幕府大奥右京局の表老女、旗下白井平右衛門の妹、夙に大奥に仕へて重く用ひられ局に仕へる女総数二百八十九人江島これを統べてゐた、時に浅草諏訪町の商人柄屋善六といふもの出羽屋源七と謀り大奥八ケ所の御用達にならうと企て奥医師奥山交竹院及小普請奉行金井六左衛門に賄し江島の歓心を得て目的を達すべく正徳三年四月江島を山村座に招き、更に六左衛門の催しというて再び山村座に観劇を催し幇間中村清五郎の手引で俳優三条助太郎、玉沢林弥、生島新五郎を招き江島の桟敷に侍せしめた、江島は初めから新五郎に心があつたので盛に盃を交し交竹院善六を招いて江島に引合せ、又絵島に勧めて山村座から座主山村長太夫の宅で休憩するやうにと誘ひ、その家に赴くと長太夫の父友碩が居て又頻りに酒肴を勧めこれを酔はしめ生島新五郎と契らせた、これから江島は屡々山村座に足を運び、新五郎との情は益々濃やかになつた、或る日徒目付松永弥一左衛門小人目附岩崎忠七と共に劇場検分として山村座に到り江島等の居るのを知り内偵する中、翌四年二月江島が月光院の命で上野の廟に代参しその帰途山村座に入り桟敷の垂簾を外して男女酒興酣な時、弥一左衛門突如これを襲ひ、その事実を町奉行坪内能登守に報じた、ここに於て能登は直ちに善六、源七、長太夫、新五郎、清五郎を白洲に呼出し取調の上二月十二日新五郎、長太夫、清五郎等を獄に投じ、交竹院、金井六左衛門、江島等は揚屋に投ぜられ、尋で江島は信州高遠に流され、配所でその生を終つた。

これを描いたものに三井万里の作(第十二回文展出品)がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)