慧遠

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えおん


画題

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解説

東洋画題綜覧

慧遠は支那東晋の人、雁門楼煩に生る、廿一歳薙髪して道安に師事し、廿四歳より講説に従事し五十一歳、関中の乱を避けて襄陽より廬山に入り池をその庭前に穿ち白蓮を植ゑ更に十二葉の蓮華をつくり、これを池中に置いて水漏計とし昼夜六時を定めて同信の僧俗とともに専心に念仏を修し、白蓮社と号した。当時社中百二十三人、何れも当代の名士名僧であつたが、就中

慧遠、慧永、慧時、道生、曇順、僧叡、曇恒、道昺、曇詰、道敬、覚明、覚賢、劉程之、張野、月続之、張全、宗炳 雷次宗

は十八賢と称せられた、これを慧遠白蓮の交といふ、これら白蓮社中の念仏は所謂慧遠流の念仏である。  (仏教辞林)

慧遠、道安に就いて大乗の奥旨を究め、後竜泉の精舎に赴き、錫杖を以て地を叩けば忽ちに渓となり、又潯陽江が旱天で水乾た時、池畔で竜王経を読んだ処、忽然として竜空に昇りやがて大雨となつた、これが竜泉寺の由来である、又、陶淵明、陸静修と共に虎渓三笑の一人として有名である。

こけいさんせう「虎渓三笑」参照。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)