延年舞

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えんねんまい


画題

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解説

画題辞典

延年舞は僧徒が天下安全の為めに修する舞にて、その昔、叡山南都共に之を行う。少年の法師両人、裏頭とて白き袈裟にて面を包み、赤袍に白の大口を着け、短刀を脊にし、中啓及鼻高沓を用いて舞うなり。唱方は六人なり、文治六年源頼朝信濃の白拍子を召し、延年舞を見るということ史上に見ゆれば、此頃にては僧家以外にても之を行いしものありしなり。

古くは土佐光信画く所あり、又北野神社の所蔵に巨勢弘高の画及び春日光春筆の衝立障子あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

僧家の舞、略して延年とも云ふ、平安朝の末期に行はれてゐた、比叡山の延暦寺、奈良の興福寺で大会を行ふ時は必ず之を奏した、其他神事にも酒宴の興にも舞つた、場は方三十間許二人の小法師、裏頭、赤袍、白大口、白袈裟で舞ひ数僧が謡をうたふ、楽器は銅抜子と鼓とで、床払、払露、開口など種々の目がある。

興福寺延年舞の歌『梅が枝にこそ、鴬は巣をくへ、風吹かばいかゞせむ、花に宿る鴬』などがある。  (大言海)

吾妻鑑には承元五年正月三日『今日及御前盃酒有廷年等』などとあれば、武家の間にも行はれてゐた事がわかる。

古く土佐光信の作があり、北野神社には巨勢弘高の画、春日光春の衝立障子等がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)