山上憶良

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やまのうえおくら


画題

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解説

東洋画題綜覧

万葉の歌人、斎明天皇六年を以て生れ、大宝元年遣唐少録となり同三年遣唐執節使粟田真人に従ひ唐に入る、時に年四十二、慶雲元年七月帰朝し和銅七年従五位下に至り、霊亀二年伯耆守となる、養老五年、詔により東宮に侍し聖武の朝筑前守となり任国に赴く、時に大伴旅人太宰帥としてまた筑前にあり、互に相往来して吟懐を試みた、在任四年、天平の初め任満ちて京に帰つたが常に病苦に悩んでゐたらしく、天平五年六月を以て歿した、年七十四、その歌は第五巻に最も多く収められ、『貧窮問答の歌』の如き殊に有名である。

憶良らは今はまからん子まつらんその子の母も我を待つらんに

しろかねも黄金も玉も何せむにまされるたから子にしかめやも

の如き人口に膾炙せらる。      

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)