大和守日記

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総合

  • 明暦四(1658)年四月一日に始まり、元禄八(1695)年三月二十七日に終わる日記。
  • 歌舞伎、浄瑠璃、能楽、説教、放下などの観劇が記録されており、当時の芸能の上演内容を知る貴重な資料となっている。

松平大和守直矩

徳川家康の子、‘結城(松平)秀康’の孫となる、松平大和守直矩。父の‘直基’の播磨国姫路十五万石を相続、一時越後国村上城に移ったが、寛永七年(1667)再び姫路藩の領主となった。その後天和元年(1681)の越後騒動に連座して閉門謹慎、減封され、出羽国山形城、さらに陸奥国白河城に移ってその地で没する。彼が十七歳のときから没するまで書き継いだ日記は『松平大和守日記』として知られ、とくにその観劇記録は近世演劇の第一級資料となっている