大井川

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おおいがわ


画題

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解説

東洋画題綜覧

東海道の大河、源を赤石山脈中の最高峰白峰山に発し塩見山、赤石山、大無間山等の連峰の東側に人跡未踏の深谷を穿つて南流し、金谷附近から急に川幅も広く沿岸に平野を伴うて駿河湾に注ぐ、徳川時代には故意に架橋せず、旅人は蓮台渡や肩車によつて渡つたこと洽く知られてゐる。大堰川又大猪川とも書く。

大堰河は駿河と遠江との堺なり、明日香川ならねど霖雨ふれば淵瀬かはる事たび/\なれば、東の山の岸に流れて鳥田の駅河原の中にある事もあり、西のかたに流れて金谷の山にそふ事もあり、又一すぢの大河となりて大木砂石を流す事もあり、あまたの枝流となりて一里ばかりが間にわかる事もあり、さればいにしへより徒杜輿梁もなりがたきゆへに往来の人馬河の瀬を知らざれば、金谷に待もあり、島田にとゞまるもあり、徒りかゝりて溺るゝ者もあり辛ふじて向ひの岸に至るもあり、島田金谷の民おのが家はたゞよひ流るれども旅客の囊をむさぼる故に防鴨河使防葛野河使を置かれしむかしの事も只今おもひ出ざらんや。

尋常掲厲心過腰、叱馬呼奴魂欲銷、来往就中何処苦、無舟無筏復無橋

海道奔流第一川、籃輿舁載担夫肩、洛西大井雖同称、此不看桴彼有船  (林羅山丙辰紀行)

大井川を画ける作に左の諸点がある。

司馬江漢筆  『大井川』  東京美術学校蔵

安藤広重筆  『島田』   東海道五十三次の中

同      『金谷』   同上

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)