双六遊

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すごろくあそび


画題

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解説

画題辞典

一。古くよりあるものに盤雙六あり、高さ四五寸横一尺程の長方形の本盤上に目を盛り、黒白十二の馬を配し、采を振りてその目のまゝに馬を進め勝敗を争ふ一種の遊戯なり、藤原時代に於ける帝王公卿宮媛の間に盛に行われ、続いて江戸時代に及び、同時代には上流の婦女子又は遊里等に行われなり、

東京帝室博物館に勝信の画あり、その他岩佐又兵衛以下浮世絵に多し。

二。江戸時代に行われたるものに紙雙六あり、仏法雙六、官位雙六最も古く、浄土雙六、道中雙六、それより各種の雙六出でたり、何れも絵を加へ、浄土雙六なれば采の目によりて進み、或は天道に出で又地獄に陥るなどの趣向あり、道中雙六なれば早く目的地に達するを勝とす、主として新年早春婦女児の遊戯たり、浮世絵には雙六そのものも画かるれば、之れが遊戯の図も亦画かるゝ所なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

雙六、双六、雙陸などと書く、『すぐろく』の転、此の戯、天竺に出で波羅塞戯と名づく、支那に入り、初、六箸を投じ、白棋、黒棋各六を行る、故に名としたと、二人で相行ふ遊戯で木盤があり、双方に十二の格があり、各馬十二を並べ黒白を以て分ち二箇の賽を竹筒に入れて代る代る振り出し其出た数ほど格を数へて馬を送り早く敵の格中に送り了つた方を勝とする、これを盤双六といひ、此の双六の廃れる頃から、子女の遊戯に紙の双六、即ち絵双六が出来た、初めは天台の名目や、官階などを書いた仏法双六や官階双六などであつたが、後には『道中双六』『出世双六』といふやうなものが出来、芝居絵の双六の如きも現はれた。

双六の我が国に行はれたことは随分古く、万葉集十六巻には『詠双六頭歌』

一と二たの目のみにあらず五つ六つ三つ四つさへあり双六のさヘ

があり、『日本書紀』持統天皇の条には、『丙辰禁断双六』の事が見え、『枕草子』には『つれ/゙\なるもの』の中に『馬下りぬ双六』それから後段にまた

清げなるをのこの双六を日ひと日うちて猶飽かぬにや、みじかき灯台に人を明くかゝげて敵の賽をこひせめて、とみにも入れねは筒を盤のうへにたてゝ待つ

などとも記してあり、此外『拾遺集』や『蜻蛉日記』にも見えるから、古く行はれたことが判る。双六遊びの絵の中に現はれたものでは、井伊家の『彦根屏風』の如き最も著しく、浮世絵に画かれたものも数々ある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)