伊賀越道中双六

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いがごえどうちゅうすごろく


総合


歌舞伎

天明三年(1783)、近松半二・近松加作の合作により竹本座で初演が行われた浄瑠璃。十段、時代物。岡山藩士渡辺数馬が姉婿荒木又右衛門らとおこなった伊賀の仇討を脚色した浄瑠璃で、同年には歌舞伎化され大坂嵐他人座にて初演された。赤穂浪士・曽我兄弟仇討とあわせて天下三代仇討と称せられる。 和田靭負を討って逃げた沢井股五郎を、和田志津馬と助太刀の店木政右衛間が追って、見事仇討するまでを、いろいろな挿話をからませて描いており、今日では主に六段目「沼津」、八段目「岡崎」が上演される。「沼津」の段のみ世話物となっており、人気が高いため独立した演目のように扱われ、上演頻度もきわめて高い。作品全体から見れば「沼津」は脇筋である。先行の「伊賀越乗掛合羽」(奈河亀輔)を土台として作られ、継ぎ合わせた台本で行われることもある。 沼津の松並木で客にした縁で、雲助平作は呉服屋重兵衛をわが家に泊めるが、娘お米が重兵衛の印籠を盗んだことから、親子兄妹であることがわかる。その印籠が敵股五郎の品と知って、平作は千本松原まで重兵衛を追いかけ、 一命を捨てて敵の落ち行く先を聞く。伊賀越の代表的な詩情豊かな場面(沼津)。政右衛門は雪の夜岡崎で関所を破り、旧師に救われる。そこへ別れた女房お谷が乳呑子をつれて門までたどりついたので、政右衛門は義のためわが子を刺し殺す(岡崎)。