交野の雉塚

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かたののきじづか


画題

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解説

東洋画題綜覧

雉子に関する有名なる伝説、嵯峨天皇の弘仁三年、摂津国川辺郡長柄の里に橋を架ける事となつた、幾度架けても落ちてしまう、すると誰いふとなく、それには人柱を立てゝ水神に捧げればよいといふ、そこでその人柱に立てる人を物色することになり、垂水の里に関をしつらへ人の往来を待つてゐた、その垂水の里に岩氏といふものがあつた、或る日戯れに『人柱に立つものは袴の跨に綴縫のあるものがよい』というた、処が、その綴縫のあつたのは岩氏自身であつた、里人は有無を言はせず岩氏を捕へて人柱とし、漸く橋は出来た、そして岩氏の冥福を祈る為め大願寺といふ寺を建てた、その岩氏に美しい娘があつた、縁あつて河内国禁野に嫁いだ、処が此の娘、嫁いでから更に物を言はない、その夫これを怪しみ唖ならば生家に還さうと、伴れ立つて家を出た、二人が交野を過ぎる頃、何処からか雉が啼いた、夫がこれを射やうとすると、娘は慌しくこれを止めた、夫がそのわけを聞くと、初めて口を開いて

ものいはじ父は長柄の人柱鳴かずば雉も射られざらまし

と一首の歌を読んだ、夫は始めて妻の唖でなかつたことを知り、喜んで共に家に帰り、その雉の啼いた三木杉といふ処に塚を建てた、これが雉塚である。  (和漢三才図会七五)

この伝説を画いたものに町田曲江の作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)