犬追物
いぬおうもの
画題
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解説
画題辞典
犬追物は犬追物射の略称にして、騎馬にて犬を追射する一種の武家競技なり。鎌倉以来盛に行われ、応仁乱後に一時中絶せしが、元和年中になり島津忠久之を再興す、馬場は弓杖七十杖四方、之に白犬百五十匹を放ち、場内に繞らしたる縄を越ゆる時に射るものなり。之に当るもの、射手、𢮦見、喚次、幣振、日記付、䦰振、犬放、河原者等の役々あり、之を画きしもの、
古く土佐光茂の図あり、住吉家に蔵す。
又近く明治初年に狩野芳崖が島津家の嘱に応じて画きたるも名高きことなり。
(『画題辞典』斎藤隆三)
東洋画題綜覧
騎馬で犬を追射する技、犬追物射の略、追物射は猪鹿の類を追つて射ることの総称である、儀式は馬上蟇目の矢を用ひ、犬を追射する、馬場は弓杖七十杖四方、大小縄あり倶に繞らして輪状をなし、小縄は馬場の正面にあつて径間杖一枚、大縄は其外にあつて長さ二十一尋、其周囲に砂を敷く、是をケヅリキハと云ふ、射手は之に馬を乗入れ縄の内に犬を入れ、検見の報を待つて犬を放つ、射法は犬の小縄内から出て将に縄を越えやうとして未だ越え訖らぬ際に於て射るを正式とする、矢所には賞と不賞とあり、矢所とは犬に射中した所を云ふ、之に弓手、押交、馬手、馬手切等の数称があり、賞すべき所がなければ、更に犬をケヅリキハの外に追ひ之を射る、是を外の犬といふ、犬は白犬で百五十疋である、係りは射手、検見、喚次、幣振、日記付、䰗振、犬放、河原者等があり、射手は上手中手下手に分ち、検見は射手の射様優劣を定むる重職、喚次は検見の告を得て其名を称へ日記付に報じ、幣振は喚次の声に従ひ幣を振つて日記付に知らせる、日記付は射手の姓名及び射中の数及び矢数を記す、䰗振は䰗で射手に授け席を定める、河原者は二百人で各犬を牽き更に雑用に使はれる、犬放一人、又犬数は百五十匹、一度に十匹で犬追物は十五遍である、此の犬追物はその昔牛追物から出てゐるといふ、最初は後堀河天皇の貞応元年と称せられてゐる。 (国史大辞典)
これを画いた主な作左の通り。
筆者不詳 六曲屏風 帝室御物
土佐光茂筆 住友家蔵品
無款六曲屏風 根津藤太郎氏蔵
狩野芳崖筆 島津公爵家蔵
無款六曲屏風 山梨村松家蔵
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)