潙山禅師

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いさんぜんじ


画題

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解説

画題辞典

潙山禅師、潙仰宗の祖なり。唐福州の人、姓は趙氏、諱は霊祐、十五にして本郡の法常に就いて出家し、二十三歳江西に遊び、百丈懐海に参ず、懐海一見其法器なるを知り入室を許す、一夜懐海爐中火ありやと問う、霊祐爐中を撥いて無しと答う、懐海自ら爐中を撥きて少火を得、是れ火ならずやと示す、之より顧みる所あり。遂に禅要を受け、潙山に住す。其居人煙に遠く人の知るなかりしも、裴相休の親しく玄奥を問いしによりて天下の知る所となり、学徒来集し、法席隆盛を極めた、法嗣仰山恵寂を得て潙仰宗を開く。大中七年正月九日寿八十三を以て寂す、大円禅師と謚らる。尚お潙山踢瓶の条参照すべし。

(『画題辞典』斎藤隆三)