有智子内親王

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うちこないしんのう


画題

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解説

前賢故実

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嵯峨天皇の娘。母は交野女王。二品を叙せられた。経典や史書を博覧、漢詩文および和歌に長けていた。初代加茂斎院。嵯峨天皇が加茂に幸した際に、左右の者たちに探韻させ、春日山荘の賦を作らせたことがある。そのとき、わずか十七歳の内親王は、探り当てた「塘、光、行、蒼」の四文字を使って、瞬く間に一首の七言律詩を詠み上げた。「棲林孤鳥識春沢(林に棲む孤独な鳥は春の恩沢がわかる)隠澗寒花見日光(澗に隠れて咲く冬の花は日光がわかる)」という詩句は、最も世の中の人々に称賛されている。内親王は性格が貞潔で、神に仕える身であった。後に嵯峨西荘に住んでいた。仁明天皇承和十四年薨去、享年四十一歳。

奉和聖製江上落花詞(帝の命を受けて御製の「江上落花詞」に唱和する)

本自空伝武陵渓(武陵渓とはもともと陶淵明が書き出した空想上の景勝であり) 地体幽深来者迷(訪ねて行った人が道に迷ってしまうほど山の奥深いところにあるという) 今見河陽一縣花(今この河陽県ではあちこち花が満開している) 花落紛紛接烟霞(風に吹かれて花びらが空に舞上り煙霞に溶け込んでいく) 孤嶼芳菲薄晩暉(花の芳しい香りが漂う中、小島が夕日に照り映え) 夾岸飄颻後前飛(両岸より花びらがひらひらと空中へ飛んでいく) 歴覧江村花猶故(川沿いの村々を見て回る花びらは飛び続け) 経過民舍人復稀(民家を通り過ぎたが、帰宅した人が少なかった) 

対落花(落花に出逢う) 落花猶未歇(落花はまだ続けている中) 桃花李花一段発(桃花や李花がさらに成長した) 倏忽帯風左右渡(忽ちに落花は風を連れて左右へ渡っていき) 須臾攀折日将暮(ちょっとの間昇ったり折返したりしている内に日が暮れてきた) 歴乱香風吹不止(歴乱とした花の風が吹き止まず) 湖裏彩浪無数起(湖では花びらに彩られた無数の波浪が起こっている) 看落花(落花を眺める) 落花作雪満空裡(雪のような落花は空を埋め尽くし) 空裏飛散投江水(空で散り散りになり河へ投じる) 可憐漁翁花中廻(花吹雪の中で、気の毒なことに魚釣りの翁が漁を諦めて家へ戻り) 可憐水鳥蘆裡哀(水鳥たちが蘆の茂みで漁に出られないことを哀しんでいる) 唯有釣舩鏡中度(釣り船だけが湖に浮んでいて) 還疑査客自天來(礼儀作法に拘らない客が空から降りてきたのではなかろうか)

(『前賢故実』)

東洋画題綜覧

有智子内親王は嵯峨天皇の第九皇女、母は高階河子、弘仁九年賀茂斎院となる、これが賀茂斎院の始めである、内親王容色美しいばかりでなく和漢の学殖深く詩文に秀でてゐた、十四年二月嵯峨天皇山荘に幸し、文人に命じて詩を賦せしめ給ふ、内親王韻を探つて『荘光行蒼』の四を得た、則ち筆を執つて『寂々幽荘水樹裏』の詩を賦す、曰く、

寂々幽荘水樹裏、仙与一降一池塘、棲林孤鳥識春沢、隠澗寒花見日光、泉声近報初雷響、山色高時暮雨行、従此更知恩顧渥、生涯何以答穹蒼。

内親王時に年僅に十七、天皇大に之を賞し位三品を授け、又御製の詩を賜ふ、尋で封百戸を賜ふ、天長八年職を辞し嵯峨西荘に居す、仁明天皇即位の後十年、二品に叙す、承和十年薨去、年四十一、賦する所の詩経図集にある。  (斎院記)(類聚国史)

有智子内親王を画いた作は左の通り。

小堀鞆音筆         栗田亀次郎氏蔵

吉村忠夫筆  『奢春光』  第十二回帝展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)