大江山鬼退治

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おおえやまおにたいじ


画題

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解説

丹波国大江山に住む悪鬼酒呑童子は、都に出て若い娘をさらう悪事を働いていた。源頼光は、勅命により家臣の四天王(渡辺綱坂田金時碓氷貞光卜部季武)と独武者平井保昌を率いて...===画題辞典===

 大江山鬼退治は古くより我邦に存する童話なり。昔丹波国大江山に酒顛童子なる怪物あり、幾多の郎等小鬼を率い山中の岩窟を利用して殿閣を擬し、近郷近国より貨財、及美女を掠めて暴横を極め国民の悩みをなせしかば、源頼光之を除かんと、渡辺綱坂田金時碓井定光卜部季武の四天王を従い兜巾篠掛を被いて山伏に変装し、山深く分け入りて怪賊の居所に抵り、策略を以て之を退治せりという、江戸時代武弁の世には此勇壮なる物語は最も人に喜ばれたることゝて或は屏風に或は絵巻に或は掛軸に、而して降っては板行の絵本又は錦絵にまで極めて盛んに画かれたり、就中有名なるもの

狩野元信筆大江山絵巻(池田侯爵旧蔵)、

狩野探幽筆大江山絵巻(浅野侯爵所蔵)、

佐光起筆大江山酒顛童子屏風(京都細辻氏所蔵)、

呉春筆大江山屏風(藤原忠一郎氏所蔵)

等あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

源頼光が渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武の四天王と平井保昌を従へ丹波国大江山に酒顛童子を退治する物語で、古くから童話として伝へられたので、絵巻にも画かれ、又、『お伽草子』にも載せられてゐる。

梗概は、丹波国大江山に鬼が棲んで、日暮れば都に現はれ容色よき女を奪つては伴ひ去る、其数幾千なるを知らず、ここに池田の中納言も一人の愛姫を奪はれたので悲歎やる方なく博士によつて姫の存否を占はせ内裏に奏聞したので、帝、勅を頼光に賜うて退治を命じ給ふ、頼光は勅をかしこみ、四天王と保昌と主従六人、山伏に姿をかへ笈の中に甲胄其他をかくして大江山に分けて行く、途中三社の神の姿をかへた三人の翁にあつて山の所在を探り、更に渓谷に衣濯ふ花園の中納言の姫に逢ひ、姫を案内として酒顛童子の窟に赴き、霊酒に酔はせてこれを討取るといふ筋。その『お伽草子』の一筋を引く

頼光の扮装には、らんでん鎖と申して緋威の鎧を召し三社の神の賜ひし星胃に同じ毛の獅子王の御冑押重ねて召されつゝ、ちすゐと申せし剣を持ち、南無や八幡大菩薩と心の中に祈念して進み出で給ふ、残る五人の人々も思ひ/\の鎧を着、何れも劣らぬ剣を持ち、女房達を先に立て心静かに忍び行く、広き座敷を差過ぎて石橋を打渡り内の体を見給へば、皆々酒に酔ひ臥して誰ぞと咎むる鬼もなし、乗越/\見給へば、広き座敷のその中に、鉄にて館を建て、同じ扉に鉄の太き閂鎖し立てて凡夫の力になか/\内ヘ入るべき様はなし、廊の隙より打見れば、四方に灯火高く立て、鉄杖逆鉾立並べ、童子が姿見てあれば、宵の形と変り果て、その丈二丈余りにして、髪は赤く倒に髪の間より角生ひて鬢鬚も眉毛も繁り合ひ、足手は熊の如くにて四方へ足手を打投げて臥したる姿を見る時は、身の毛もよだつばかりなり、有り難や三神現れ給ひつゝ、六人の者共に『よく/\是まで参りたり、さりながら心安く思ふべし、鬼の足手を我々が鎖にて繋ぎつ、四方の柱に結び付けて働く気色はあるまじきぞ、頼光は首を切れ、残る五人の者共は後や前に立ち廻りずん/\に斬り捨てよ仔細はあらじ』と宣ひて、門の扉を押開き掻消すやうに失せ給ふ、扨は三社の神達の是まで現はれ給ふかと、感涙肝に銘じつゝ頼もしく思ひつゝ教に任せて頼光は頭の方に立ち廻り、ちすゐをするりと抜き給ひて『南無や三社の御神、力を合せて賜び給へ』と三度礼して斬り給ヘぱ鬼神眼を見開きて『情無しとよ、客僧達欺り無しと聞きつるに鬼神に横道無きものを』と起き上らんとせしかども足手は鎖に繋がれて起くべき様もあらざれば大声をあげて叫ぶ声、雷電雷天地も響くばかりなり』。

『大江山鬼退治』は斯くて世の歓迎を受け絵画に画かるものも少くなく、絵巻にも左の諸点がある。

狩野元信筆  『大江山絵巻』   池田候爵家旧蔵

狩野探幽筆  『同』       浅野侯爵家蔵

屏風には左の作がある。

土佐光起筆  『酒顛童子屏風』  京都細辻伊兵衛氏蔵

松村呉春筆  『同』       藤原忠一郎氏蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)