叡山

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たいざん


画題

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解説

画題辞典

叡山は比叡山の略称なり、京都の東北三里に在る山にして山城近江の両国に跨る、絶頂を四明嶽といい、別称を日枝の山、天台山、鷲峯といい。又叡山、台嶺、北嶺などの名を以て呼ばる。延暦四年僧最澄王城鎮護としてこゝに延暦寺を建つ、盛時には大界三十六丁、周山四方各六里に及び、一山の中心を東塔止観院とし此に根本中堂戒壇院法華堂文殊楼あり、南、東、北、西、無動寺の五谷に分れて四十六坊あり、之に対して西塔宝幢院あり、釈迦堂、相輪棠、法華堂、椿堂、常行堂こゝに建つ。更にその東北に横川首楞厳院あり、根本如法堂、四季講堂、安樂律院あり、外に九院十六院を初め三千余坊ありたりという。源平時代以後僧兵を蓄い山法師として為政者を窘しめしが、織田信長に攻められて以来頓に衰運に赴きたり、されども今尚天台一宗の総本山として海内有敷の浄地たるを失わず、京都に近く洛中遠望の勝地とも数えられて画かるゝ所も前後甚だ多し。

冷泉為恭筆叡山中腹図(溝口宗文氏所蔵)

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

比叡山の略、近江国滋賀郡坂本に属してゐる、近江山城二州に跨り、南は滋賀山に接し北は遠く比良山に連る、山勢峭峻、絶頂を大嶽と曰ふ、海抜八五〇米突、峰巒起伏して方五十余町に盤踞す、大嶽の東傍に延暦寺中堂があり大嶽の南に四明峰無動寺があり、大嶽の西北は西塔の峰勢北走して大原魚山の嶺となる、横川嶺は大嶽と一縦谷を隔て其東北に横亘す、凡比叡の水西面は皆高野川(加茂川上流)に注ぎ東面は横川谷に匯し大宮川と為る、自余は穴太仰木の山より直に大湖に注いでゐる、此山は延暦寺の寺界で堂塔散在し、幽邃の勝を占め、眺望絶佳である、凡四嶺に分ち、東嶺(中堂併坂本)南嶺(無動寺)西嶺(西塔青竜寺)北嶺(横川安楽律院)是である、坂路は東面を東坂、西面を西坂と曰ふ、登路は岐れて数路あるが、東坂は坂本から中堂に至る廿八町、西坂は修学院より四十町(雲母坂と曰ふ)、比叡は古書日枝、稗叡、又は日吉に作り其天台宗を伝へた処から天台山と曰ふ、故に略して叡山台嶺又日支に作つてゐる。  (大日本地名辞典)

叡山を描いた作には冷泉為恭に名作があり(溝口宗久氏蔵)近く左の諸作がある。

速水御舟筆  『比叡山』    第七回院展出品

川村曼舟筆  『比叡山三題』  第八回文展出品

森野嘉光筆  『比叡山麓』   第三回帝展出品

小松均筆   『雲母坂』    昭和十四年白御会出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)