丹墀門成
たじひの かどなり
画題
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解説
前賢故実
大同初年、少判事、大和大掾を歴任。天長三年、從五位下を授けられ、丹波介に任命された。その地は、粗野で教化に逆らう風俗があり、昔から治めにくいところとして知られていた。門成は厳しい政治を実施し、執政する広間の前にたくさんの笞杖が積まれていたという。数年後、門成の管轄下は大きく改善された。承和中に弾正少弼になり、のち刑部太輔を経て武蔵守を務めることになった。所轄するところが広くて、盗賊も出没していた。赴任してまもなく悪い風俗を一掃し、悪人が牽制されておとなしくなった。その後、大和守を務めていたときは、豪族に対しても避けることなく、厳しく対処していた。地域の安泰を守った門成は、民衆に推戴されていた。仁寿三年に正五位下を叙せられ、在官中に亡くなった。門成は学識のある人ではないが、政事に長けていたので、至処でいい評判が立ち、当時の人々に称えられていた。
(『前賢故実』)