剣道

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けんどう

総合

スポーツ

剣道はあい対する2人の競技者が,一定の規則にしたがい,防具をつけ,竹刀(しない)を持って相互に相手の打突部位(面,小手,胴,突き)を打ち,あるいは突いて勝敗を決する競技である。

非公開

[語の由来]剣道という名称は,時代によってかなり異なっており,古くは<撃刀〉<撃剣〉の文字が使われ,のちに〈剣術〉〈剣法〉〈刀術〉〈刀法〉く兵法〉などが用いられた。史料としてもっとも古いのは,《日本書紀》に出てくる〈撃刀〉である。このころは,〈撃刀〉〈撃剣〉と書き表わし,<たちかき〉〈たちうち〉と読まれていたが,平安時代になると〈太刀打〉と書き表わすようになり,鎌倉時代を経て室町時代の中期ごろまで盛んに用いられていた。室町時代の後期から江戸時代の初期にいたるまで盛んに使われたのは〈兵法(ひょうほう)〉という用語である。一般的にこの用語は,軍学,軍法,戦術,戦法といった意味に用いられているが,当時はほぼ剣術と同じ意味で使われていた。しかし,その後は徐々にに,大の兵法(軍学),小の兵法(剣術)と区別して使われるようになった。江戸時代には,〈剣術〉をはじめとし,〈剣法〉〈刀術〉〈刀法〉〈兵法〉などいろいろ呼称されていたが,必ずしも明確な意味の区別はなく流派や個人の好みによって使い分けられていたようである。幕末から明治・大正時代にかけて盛んに用いられたのは,<剣術〉であるが,<撃剣〉という名称も多用されるようになってきた。これは, 1873 (明治6)年に行われた榊原鍵吉の〈撃剣興行〉の影響が大きかったと考えられる。明治末期ごろからは,学校を中心に<剣道〉という名称が広まった。 〈剣道〉という語がいつごろから使いはじめられたかは明確でないが,中国の4漢書》にも剣道という名称は登場しており,かなり古くから使われていたようである。現在,一般的に使われている剣道とほぼ同じ意味あいで広まったのは明治末期。大正時代からである。これは, 1919 (大正8)年,大日表示の多数決により決定し,主審が宣告する。本武徳会が正式に〈剣道> という名称を採用したことによるものである。また,剣道という用語が法規上正式に使われたのは, 1926 (大正15)年に一部改正された〈師範学校規程〉ならびに〈中学校令施行規貝|」〉からである。その後現在にいたるまで,社会的にも法律的にもほぼ〈剣道〉 という名称で統一されている。

https://www.dh-jac.net/db1/mbooks/BN01065506-01/pdf/335/