「班固」の版間の差分

提供: ArtWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
(相違点なし)

2021年12月7日 (火) 20:03時点における最新版

はんこ


画題

画像(Open)


解説

東洋画題綜覧

支那漢代の歴史家、扶風の人、字は孟堅、父の彪が、司馬遷の史記に続いて武帝以後の修史に志し途中死したので、固は之が修補訂正に死力を尽したが、班固は私に史を改作すと上奏するものあり下獄の身となつた、弟超驚いてその真相を奏したので赦され、校書郎に拝せられ史を探撰し異聞を集め、上は高祖に筆を起し王莽の誅に終る、この間実に三百三十年、体例は史記に倣ひよく体を整へた、これが漢書百篇である、また両都賦は、幽通賦、答賓戯の作があり、晩年は母の喪に居り官を去つたが、永元年中竇憲と共に匈奴を討ち功を立てたが後敗れて下獄し、四年獄中に死す、年六十一。

『芥子園画伝』人物篇にその像を載せてゐる。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)