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=総合= == '''恋合 端唄つくし こしもと房の 木浦新吾''' == [[画像:ArcUP0469.jpg|thumb]] 絵師: 三代目豊国 落款印章: 任好 豊国画(年玉枠) 改印: 酉三改 出版年月日: 万延二年(1861)三月 出版地: 江戸 画題: 「恋合 端唄つくし」 「こしもと房の 木浦新吾」 上演場所: 江戸 (見立) 配役:木浦新吾 初代 坂東竹三郎 こしもと房の 三代目 岩井粂三郎 ---- ===【翻刻】=== 恋という字は一字にかけど義理せけんに ひかされて 今はたがひのむねのうち 気がねくらうも するわいな うわさにも 気だてが ようて なりふりまでも いきではすはで しやんとして かつら男の主さんにほれたが むりかへ 人は 武士(ものゝふ) さらりとやめて 今は この身も 山ぶきの 町人ン衆 は きさんじな やなぎにながして 世をわたる <解釈> 恋という字は1字で簡単に書く事ができるが、義理世間のもとにいるために、今はお互い胸にしまっている。遠慮もするだろう。 うわさでは気だてがよくて、見た目もよく、立ち振る舞いが良く、軽い女が美男子に惚れたが、無理なのだろうか。 その人は武士をさらっとやめて、今はゆっくりすごしている。お金持ちの町人たちはわだかまりなく、気楽に柳のように身をまかしてこの世を生きている。 ===【語彙】=== 気がね:気兼ね。他人の思惑などに気を使う。 はすは:はすっぱ。蓮っ葉。言動などが軽薄な様。 きさんじな:大阪弁で気晴らし。 もののふ:武士のこと。戦場で戦うひと。 山ぶき:この時代、山吹色を小判の色にあてはめていた。 ===【題材】=== この演目は『蝶鵆龜山染』ー2番目にでてくる『袖浦故郷錦』を脚色しているもので、『袖浦故郷錦』またの名を『けいせい雪月花』と言い、その中の章の一つ『渡雁戀玉章』が脚色されている。 ===【けいせい雪月花】=== 1840年(天保11年)正月、大坂中の芝居演。「雁のたより」「渡雁恋玉章」などの外題からなる。通称「花徳」。石川五右衛門の狂言の中挾みとして、何の縁もなく使われた狂言である。こうした形式は当時の上方劇界風習でありました。中野正三郎の腰元房野(中村富十郎)木浦新吾(片岡我童)と忍び逢っていたが、下部直助の訴えによって、正三郎に知れる。正三郎は直助を斬って、二人を逃します。数年後、正三郎には宝物の花活紛失の科で浪人、江戸にいた。二人とも江戸の品川に流れており、新吾は花屋徳兵衛、房野は女房お房となって一人子どもをもうけ、懸命にはたらいているところ、売ト者(占いをする人)となった正三郎に出会う。宝物を売るのに苦戦していた正三郎は道具やから発見し、儲けの為にお房を子どもぐるみで相模屋治兵衛に売る。相模屋の下駄番五六、その他の悪者がよってたかってせっかく買った宝物を摺り替え徳兵衛を苦しめる。しかし徳兵衛が八ツ山下で悪人大勢を斬って宝物を取り返し、受取の役人花垣求女に渡し、正三郎を帰参させる。 {| |[[画像:006-1582.jpg|thumb|豊国<3>中野正三郎]] |[[画像:101-3074.jpg|thumb|豊国<3>袖浦故郷錦「木浦新吾」「下部直助」]] |} ===【配役】=== <b>初代 坂東竹三郎</b>:天保3年(1832)~明治10年10月13日(1877)享年46歳。生まれは江戸。初名は坂東鶴之助。浅草寺院地中某院地内に住む大工偽蔵の子とも、歌舞伎作者村冠二の弟ともいわれている。天保11年(1840)春、坂東佐十郎の引き立てで4代目坂東彦三郎の養子となる。坂東鶴之助と名乗り、養父について修行。13年11月の中村座で子役として初舞台を踏む。弘化3年河原崎座坂東竹三郎と改める。風姿・口跡がよく、かつ上品で、すべての役に熟し、武道事・実悪・女方を演じては三都随一の名人といわれた。養子に6代目彦三郎がいる。 のちに5代目坂東彦三郎になる。 <b>3代目 岩井粂三郎</b>:文政12年10月2日(1829)~明治15年2月19日(1882)享年53歳。生まれは江戸。幼名は岩井九次朗。初名が岩井粂三郎(3代目)前名は岩井紫若(2代目)。七代目岩井半四朗の子。母は4代目瀬川菊之丞の次女にあたる。初め子役として岩井九次朗と名乗り江戸の舞台に勤めていたが、天保3年(1832)3代目粂三郎と改め、11月中村座「碁盤忠信雪黒白」に門院侍女小侍従役をする。明治5年(1872)8代目半四朗を襲名し、名古屋に巡業、東京に戻り新富座に勤め、3年後の明治13年横浜座に勤める。14年以降病気がちになり、翌明治15年正月発病し、2月に死去。 <b>徳兵衛</b>:六軒町の色茶屋重井筒の息子の徳兵衛は重井筒の店女郎お房と深い仲。お房の頼みで妻お辰の実印を用いて銀四百匁を借り出すが、ばれてしまい、お房と縁を切る覚悟をするものの思い切れず、周囲の遠慮も空しく高津の大仏勧進所で心中を遂げる。 <b>お房</b>:大坂六軒町の色茶屋重井筒の店女郎のお房は、店の主人の弟の徳兵衛と深い仲。お房の父が金につまり、ただならぬ二人の様子を察した周囲はそれとなく意見をしたり、遠ざけたりするが、お房徳兵衛は心中を遂げてしまう。 ===【台本】=== *『けいせい雪月花』の中の「渡雁恋玉章」より 若草 イエ/\、お前でもごさんせぬ。こう見渡した合いの杯、毎日顔を見て居るお方ばかり、どうしたらよからうぞいなア。 腰一 お待ち遊ばせ。誰れぞ顔の替つたお方が。 腰二 左やうでござります。珍しいお方が。 四人 有りさうなものでごさります。 ト 腰元三、思ひ入れあつて 腰三 モシ、ござりますぞえ/\。 四人 誰れさんでござりますぞえ。 腰三 誰と云うたら、この下屋敷の裏手に居る、髪結ひどのはどうでござりませう。 玉章 ほんに、裏手のあの浮世床の髪結ひどのは、わたしや大好きぢゃわいなア、 腰四 そんならコヽへ呼んで、お合ひさせては如何でござりませう。 (中略) 兵部 そちや今の髪結ひに氣があるか。 若草 エ・・・ホヽヽヽヽヽ。思ひがけない。あのやうな賤しいものに。 兵部 イヤ、氣がある/\。氣のある證コは、あの髪結ひが帰った後を、眺めて居つたではないか。 (中略) =='''まとめ'''== 「恋合 端唄つくし」 「こしもと房の 木浦新吾」は配役が坂東竹三郎と岩井粂三郎に設定されているが、実際に上演されていないために見立てであると考えられる。 けれども実際には安政2(1855)年7月27日河原崎座で上演された『蝶鵆亀山染』という話の二番目に『袖浦故郷錦』があり、この絵が描かれた1861年と近い事から「恋合 端唄つくし」「こしもと房の 木浦新吾」の題材モデルになったと考えられる。 またこの『袖浦故郷錦』は別名『けいせい雪月花』という名前で話が残されており、それについて詳しく深めて、場面を確定する事が出来た。 またこの『けいせい雪月花』は文久1(1861)年2月江戸で上演された『袖浦恋春雨』とも役者などが一致し、「恋合 端唄つくし」「こしもと房の 木浦新吾」とも似ている絵がのこされているので繋がる事が分かる。 {| |[[画像:Sodegaura1.jpg|thumb|豊国〈3〉袖浦恋春雨 木浦新吾 ]] |[[画像:101-3082.jpg|thumb|豊国〈3〉 袖浦恋春雨 こし元房野]] |[[画像:101-3088.jpg|thumb|豊国〈3〉袖浦恋春雨 左:下部直助 右:中野正三郎]] |} 左から1つめと2つめは『袖浦恋春雨』の木浦新吾とお房が描かれているもので、実際の帯をひっぱっているところが似ていて、このこし元房野を演じているのも3代目岩井粂三郎である。木浦新吾も演じているのは5代目坂東彦三郎、つまり初代 坂東竹三郎ということになり、着ている着物の紋や髪型も「恋合 端唄つくし」「こしもと房の 木浦新吾」と一致する。 上の『けいせい雪月花』の説明の所にも述べたように中野正三郎の嫁であったお房と木浦新吾は忍びあってたとある。そして渡雁恋玉章に出てくる若草と髪結の伊之の間も、若草は三浦兵部之助から愛妾とされていたのに、髪結に思い入れをしたことで若草が裏門から出て行ったりするシーンがあり、この二つには三角関係であったことが読みとれる。 =='''参考文献'''== ・『歌舞伎年表』岩波出版、伊原敏郎著、1962年3月 ・『歌舞伎人名事典』日外アソシエーツ、1988年9月 ・『日本戯曲全集 第十九巻』春陽堂、昭和3年6月 ・『日本戯曲全集 第二十一巻』春陽堂、昭和4年2月 ・『日本家紋大鑑』大観社、昭和54年9月 ・『歌舞伎事典』平凡社、2000年、1月 ・国文学研究資料館(http://www.nijl.ac.jp/) ・『歌舞伎名作選 第八巻』創元社、昭和31年5月
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