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=総合= 本興行は本来五月中の上演として企画され、辻番付もでたが、演劇博物館の朱筆書き入れにあるように、大暑のため、7月に延引になったとみえる。その後、辻番付の挿絵で渡し守として描かれている菊次郎が市村座から退座したため、本図の組み合わせにみられるようにしうかに変更して7月上演が予定された。 しかしながら、絵本番付等、資料には該当する場面がない。前述の朱筆書き入れには、 七月上旬ヨリ 又々忠臣蔵の看板上ケて其中へ 新曲乗合船といふ新上るり 延寿太夫出勤ニて相勤 二番目おきく幸助之世話狂言つけて興行あるつもりの処 太夫元借金の起り 公辺と相成 大茶や不残戸をおろす 八月十八日ニやう/\大茶や店を明ル 夫故二狂言も此双喋々と替り 清元出勤シ先年さかい丁ニてつとめし六歌仙ニナル (天保十二年八月廿八日の条) とある。太夫元の借金が元で興行が中止になり、延寿太夫が出勤したのは八月の六歌仙からだとすると、本図の場は取りやめになった可能性が高い。『近世邦楽年表』にも記載はない。 ボストン美術館には同場面を描いた一枚ものがある。 [http://www.mfa.org/collections/search_art.asp?recview=true&id=213691&coll_keywords=&coll_accession=11.21765&coll_name=&coll_artist=&coll_place=&coll_medium=&coll_culture=&coll_classification=&coll_credit=&coll_provenance=&coll_location=&coll_has_images=&coll_on_view=&coll_sort=2&coll_sort_order=0&coll_view=0&coll_package=0&coll_start=1 ボストン美術館] 国立音楽大学竹内道敬寄託文庫にも同じ五枚続きがある。 ----
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