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=総合= ●『道成寺縁起絵巻』(室町時代、十五世紀後半) 大筋は『大日本国法法華経験記』と同じであるが、脚色されて物語色が濃くなっている。 ・年月、場所、登場人物の説明などが詳しい。 「醍醐天皇之御宇、延長六年八月之比、自奥州、見目能僧之浄衣着が熊野参詣するありけり。紀伊国室の郡真砂と云所に宿あり。此亭主、清次庄司と申人の娵にて、相随ふ者数在けり。」 ・若い僧に騙されたと知った女は、籠居することなくすぐさま走り出す。 「「偖はすかしにけり」と怒りて、鳥の飛がごとく叫行。「設深き蓬が元までも尋ゆかんずる物を」とて、ひた走にはしりけり。」 ・切目川を渡ってしばらくすると若い僧に追いつくが、若い僧は人違いだと言って逃亡し続ける。するとだんだんと女の顔が変わっていき、口が裂けて炎を吐き始める。やがて日高河にさしかかると若い僧は舟に乗って川を渡り、僧の言葉を守った渡し守りは女の乗船を拒否したので女は衣服を脱いだ。たちまち、女は一匹の大毒蛇となって川の中に飛び込む。 ・鐘を取り除いて残っていたのは若い僧の骸骨であった。 ●『賢学草紙』『日高川双紙』 この作品は『道成寺縁起絵巻』の異本とされており、同時期成立のものと見られている。 <梗概> 美しい姫君が十六歳の年に侍女を侍らせ都へとのぼり、清水寺に詣でたそこで一人の賢学と出会う。松風という名の下女を通して二人はたびたび文を交わす仲となり、ついには枕を交わした。賢学はその昔、観音の霊夢に示された幼い少女との契りを断つためにその少女の胸を刺していた。姫君はまさにその少女であり、胸の傷を見て自分が刺し殺したはずの少女であったことに気付いた賢学は修行に出かける体で逃げ出す。熊野参詣に向かう途中の紀の路でまぼろしを見て、それを打ち払うために瀧に打たれるが消えない。日高川に辿り着き、舟に乗って渡っていると少し蛇身化した姫君が川を泳いで追いかけてくる。川を渡りきった時にはすでに大蛇となっていた。賢学は古寺に逃げ込み鐘の中へ入って身を隠していたが、大蛇はその鐘に取り巻いてみじんに砕き、賢学をとらえて日高川に入っていった。 <参考文献> 『続日本の絵巻24 桑実寺縁起 道成寺縁起』、中央公論社、1992年12月20日 『近世文芸研究叢書 第二期芸能篇19 歌舞伎19 日本演劇の研究 第二集』、クレス出版、1997年4月25日
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