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=総合= <ruby><rb>現在能</rb><rp><rt>げんざいのう</rt></rp></ruby>とは、能の曲を、時間的展開や<ruby><rb>立ち役</rb><rp><rt>たちやく</rt></rp></ruby>の演じる対象の種類という視点から分類した時の分類名の一つである。我々がふだん現実的だと感じる場面が、過去から未来へという日常的な時間の流れに沿って展開し、そのような展開の中で、我々がふだん現実的だと感じる立ち役が舞台上ではたらき、筋が進行する曲を指す。</p> == 現在能と夢幻能 == 演劇全体から見れば、素朴で基本的な形態であるが、能の世界でこれがあえて「現在能」と名付けられているのは、それとは異なる展開を持つ<ruby><rb>夢幻能</rb><rp><rt>むげんのう</rt></rp></ruby>が数多く存在し、それが能の大きな特徴となっているからである。呼称としては「夢幻能」が先で、それに対して素朴な時間的展開を持つ形態の能を「現在能」と呼んだもので、「夢幻能」も「現在能」も近代に入ってからの呼称である。 能に特徴的な時間展開を持っているのは夢幻能であるが、能においても、原初的な形態はやはり現在能であったと考えられ、現在演じられる曲の数も少なくない。また、<ruby><rb>能の大成者</rb><rp><rt>のうのたいせいしゃ</rt></rp></ruby>と言われる<ruby><rb>世阿弥</rb><rp><rt>ぜあみ</rt></rp></ruby>は、夢幻能形式を確立し、その模倣的な作品が後に数多く作られたが、その間に並行して現在能も多く作られていた。 世阿弥が確立した典型的な夢幻能の派生的形式の作品も多く作られたため、現在能と呼ぶべきか夢幻能と呼ぶべきか困難な曲も存在する。典型的な現在能の例としては、<ruby><rb>物狂</rb><rp><rt>ものぐるい</rt></rp></ruby>が登場する世阿弥改作《<ruby><rb>百万</rb><rp><rt>ひゃくまん</rt></rp></ruby>》や<ruby><rb>元雅</rb><rp><rt>もとまさ</rt></rp></ruby>作《<ruby><rb>隅田川</rb><rp><rt>すみだがわ</rt></rp></ruby>》、室町後期の作者不詳《<ruby><rb>安宅</rb><rp><rt>あたか</rt></rp></ruby>》《<ruby><rb>鉢木</rb><rp><rt>はちのき</rt></rp></ruby>》などがある。 ---- * [[複式夢幻能]] * [[複式能(二場物)]] * [[現在能]] * [[一場物(単式能)]] * [[夢幻能]]
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