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=総合= '''崔載瑞(チェ・ジェソ/1908~64)''' 評論家・英文学者。号は石耕牛。黄海道・海州生まれ。[http://unchiku.com/wiki/index.php?title=%E4%BA%AC%E5%9F%8E%E5%A4%A7%E5%AD%A6 京城帝大]英文科卒。大学卒業後、ロンドン大に留学し、帰国後、京城帝大講師、普成専門学校教授などをつとめる。30年代初頭からT・E・ヒューム、I・A・リチャーズ、T・S・エリオットなどのイギリスの批評家を紹介する評論を書きはじめ、34年には「現代主知主義文学理論の建設」で主知主義を紹介、現実の壁に直面したプロレタリア文芸批評の限界を克服する方途として提示した。その後、30年代中葉からはイギリス文学の単純な紹介にとどまらず、「風刺文学論」(35)、「リアリズムの拡大と深化」(36)、「故・[[李箱]]の芸術」(37)など、当時の[[モダニズム]]文学を評価する論文を数多く発表した。39年に創刊された文芸誌『人文評論』の編集・発行を引き受け、エリオットの『クライテリオン』誌を範として知識人の統一戦線結成を試みたが、戦時体制による雑誌の統廃合で42年から[[『国民文学』]]に吸収され、その編集・発行にあたるようになってからは、「新体制論」の理論的イデオローグとして、創氏名「石田耕造」などで短編小説や評論を同誌に発表、内鮮一体と日本の戦争遂行に微妙な役割を果たした。45年の解放後は文学評論の一線から退き、延世大学教授などをつとめながら、シェークスピアを中心とする英文学研究に専念した。評論集『文学と知性』(38)のほか、『転換期の朝鮮文学』(43、日本語)、『文学原論』(63)、『シェークスピア芸術論』(63)などがある。 出典:李光鎬編/尹相仁・渡辺直紀訳『韓国の近現代文学』(法政大学出版局 2001・8・1)「人名解説」
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