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=総合= [[画像:ArcUP0456.jpg|thumb]] === '''<大和歌五穀色紙>'''=== 正徳頃刊行された、富松薩摩の正本。清水三郎兵衛作。小町が雨乞の徳を称され、東宮の妃に望まれるが、小町は深草少将と恋仲なので、これを拒んで少将と逃げる。大伴黒主は小町に恋しているので、二人を種々迫害するが、遂に失敗して罪を問われ、二人は世に出るまで。中に小町の父良実の執権五大三郎の妹卯の葉が、小町とまちがえて黒主に殺され、その怨霊が、雷神となつて黒主を苦しめる場などもある。正徳四年と享保三年には、京都の歌舞伎で、これを演じている。いま一中節に残る「小町少将道行」は、この浄るりの中の巻であるが、恐らく正徳四年の折、初代一中が、歌舞伎で語つたものと思われる。 <出典:『系統別戯曲解題』> === '''<小町少将道行>'''=== === '''<七小町(人形浄瑠璃)>'''=== ・七小町 一六七七(延宝五年)八月刊行、山本角太夫の語つた正本。小野良実の娘小町が選ばれて広沢の池に雨乞い。大伴黒主はこれを憎み、手勢を以て良実の館をかこむが、紀貫之の仲裁で鎮まり、和解の和歌の会が帝の御前で催される。黒主が小町の歌を古歌と難じ、草紙洗いのくだりあり、のち深草少将が百夜通い、九十九夜に死ぬ。その霊が悪鬼となり、玉津島明神へ参詣の小町の許へ現れるが、明神の咎めで退散するまで。 ・七小町 一七二七(享保十二年)四月、竹本座演。竹田出雲作。初めに「草紙洗」があるが、古歌なりと罵るのは黒主の父山主で、草紙は洗わず、紀貫之が預かる。八雲王子が謀反を企て、寂莫僧都に竜神を封じさせ、天下を旱●にする。小町・・・・ ==== '''-七小町の歌-''' ==== 七小町 作曲 : 光崎検校 作詞 : 船阪三枝 箏手付 : 八重崎検校 演奏時間 : 約20分 〔解 説〕 小野小町の境遇によって作り分けられた、(1)七つの作品が七小町である。小町は(2)衣通姫(そとおりひめ)の流れをくむ平安朝前期における女流歌人として知られ、また、古来わが国の代表的美人といわれている。この才色双備の佳人をめぐり、多くの説話が生み出されている。この七作品に限らず、その作品群を一括して「(3)七小町物」と総称されている。歌詞の文意は文章の語訳だけでは諒解され難いので、七つの物語の梗概を載せておく。 (1)草子洗小町、雨乞小町、関寺小町、卒都婆小町、通小町、清水小町、鸚鵡小町。 (2)第十九代允恭天皇の妃、和歌に長じ人磨、赤人とともに和歌三神の一として、和歌の浦玉津島神社に祭られている。その容姿美しく、衣を通して光り輝くようであったという。古今集、仮名序、「小野小町は、いにしへの衣通姫の流れなり」。 (3)七小町姿彩(長唄常盤津)、六歌仙容彩(長唄清元)、三幅対和歌姿絵(常盤津)、小町少将道行(一中節)、小町ひめ(歌沢)など。 〔歌 詞〕 (1)蒔かなくに、何を種とて浮草の、浪の畝々(うねうね)生ひ茂るらん。 (2)草子洗ひに名にしおふ、その(3)深草の少将が、(4)百夜(ももよ)通ひも理(ことわ)りや。 (5)日の本ならば照りもせめ、さりとては又天が下とは。(6)下ゆく水の(7)逢阪(あふさか)の、 庵へ心(8)関寺の、うちも(9)卒都婆(そとば)も袖褄を、引く手あまたの昔は(10)小町。 今は恥し(11)市原野。古跡もきよき清水(きよみず)の、(12)大悲の誓ひかがやきて。 曇りなき世に雲の上、(13)在りし昔はかはらねど、見し(14)玉簾(たまだれ)の、 内やゆかしき、内ぞゆかしき。 (1)水辺の草と題した歌。 (2)草子洗小町の説話。 (3)伝説上の人物の名。 (4)深草少将が小野小町の許に百夜通ったという説話。 (5)雨乞いの歌。 (6)近江の国をいう。 (7)関寺は近江の国逢阪の関の東にあった。 (8)関寺小町の説話。 (9)卒都婆小町の説話。 (10)小野小町。 (11)山城国の地名、通小町の説話。 (12)清水小町の説話。 (13)鸚鵡返しの歌。 (14)御殿の御簾。 〔通 釈〕 蒔かないのに何を種として浮草は浪の畝々に生えて茂るのであろうと、謡曲草子洗でうたった 草の名のついた深草の少将が百夜も小町のもとに通ったのも道理である。日の本といえば 文字の通り、日光が照りもするであろう。それはそうとして、天の下といえば、その下を流れて 行く水の逢うという逢阪の庵へ心がせかれて行く関寺の、内や外にある卒都婆に小町が腰を 下ろせば、その袖褄を引く手が多数あった昔であった。然し今は追い衰えて恥しく市原の里に こもり、古跡も清い清水寺の観音の御利益は輝いて雲のない世に謡曲鸚鵡小町にある歌の ように、殿上に仕えていた昔と変らないが、以前見た御殿の御簾が懐かしく思われる。 〔草子洗の梗概〕 謡曲「草子洗」 時は陰暦四月の半ばごろ、宮中の清涼殿で、*(1)おん歌合せが行われることになっており、 小野小町には「水辺の草」という題を賜っていた。当日小町の相手は*(2)大伴の黒主(おおとものくろぬし) であったが、黒主は当代切っての歌よみとして名高い小町には到底かなわないと思い、密かに 小町の私宅に忍び込んだ。小町は苦心のすえ「蒔かなくに何を種とて浮き草の、波のうねうね 生い繁るらん」という歌を作り、これを吟じているのを、木蔭で黒主が密かに盗み聞く。 さて、歌合せの日がきて*(3)河内の躬恒、*(4)紀の貫之、*(5)右衛門の尉壬生の忠岑など主上の 御前に左右に着座して歌の披露が始まり、やがて小町の歌が詠ぜられると、主上はいたく感嘆された。 ところが黒主は「これは万葉にある古歌であります」と申出たので、一座どよめき、小町の心の内は 転動するようであった。しかし小町は黒主がわが歌を立ち聞きして、万葉に入れ筆をしたことを見抜き、 切に奏上して万葉の草紙を洗うことを許された。やがて銀の盥(たらい)に水を入れ、かの草紙を洗った ところ、浮き草の入れ筆の文字は、一字も残らずに消え去った。小町はあなうれし有難や、これ*(6)出雲、 *(7)住吉、*(8)玉津島、*(9)人麿、*(10)赤人のおん恵みかと、心のうちに伏しおがんだ。 *(1)歌人を左右に分け歌の優劣を競う文学遊戯。 *(2)歌人の一人・古今和歌集仮名序に「大伴のくろぬしは、そのさまいやし、いはば、たきぎをおへる山人の、花のかげにやすめるがごとし。」。 *(3)凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、延喜時代の代表的歌人の一人。勅命によって古今和歌集を選した。三十六歌仙の一人。 *(4)延喜時代随一の歌人、その和歌は妙神に入ると評された。勅命を奉じて古今和歌集を撰進したが、その歌風は貫之によって代表されている、三十六歌仙の一人。 *(5)壬生忠岑(みぶのただみね)、延喜年中宮中の歌合せに出席し「暁ばかりうきものはなし」とよみ、天皇の御感に入り、近くに候するようになった。勅命により古今和歌集の選にあたる。三十六歌仙の一人。 *(6)出雲大社をいう。祭神大国主命。日本の神様の総帥といわれる。 *(7)大阪市住吉区にある住吉神社、表筒男命ほか三柱を祭る、和歌の神。 *(8)和歌山県海草郡にある玉津島神社、和歌の神衣通(そとおり)姫を祭る。 *(9)柿本人麿、万葉歌人、構想雄大気魄に満ちた作風がある、傑作多く、歌聖とよばれている。 *(10)山部赤人、元正、聖武両帝に仕えた叙景詩人、三十六歌仙の一人。 〔雨乞小町の梗概〕 小野小町は朝廷に仕えているうち、小町のたぐいない美しさ、その和歌の巧みなる、公卿の公達たちは、 誰一人心を寄せない者はなかった。当時藤原氏は朝廷で専横を極め、藤原氏にあらざれば人にあらず、 皇后や王妃などを藤原氏一門から出すためには手段を選ばなかった。しかるに、宮廷における小町の歌は しばしば全朝廷を感動させるなど、才色双絶の誉れ高くなるにつれて、御門の心を動かすようになったので、 藤原氏から忌避されるようになり、遂に宮廷から退けられる結果となった。 宮廷から退いた小町は、比叡山の麓の荘に住んだが、公卿の公達たちは、われもわれもと小町の寓居を 訪ね、自分に靡かせようと試みたが、小町は*(1)わが心を堅く結んだまま、何人も解くことを許さなかった。 承知七年は長く早魃が続き、五穀の実りを害して百姓を苦しめ、大飢饉を招く前兆ともみられたが、突如、 朝廷に来り雨乞いの歌読むべしとの勅*(みことのり)が、勅使をもって小町に降った。小町の歌ならば天地も 感動して、早魃も止むであろうとの主上の思召であった。 小町はこの度こそ一生の大事、一身の浮沈の瀬戸と思い、一心こめて天に祈り、鬼神を動かして民を救い、 御門の宸襟(しんきん)を安じ奉るほどの名歌を詠まなければならぬと決心して勅命に応じたことはいうまでも ない。さて、雨乞いの当日小町は宮中に召出され、壮麗な祭壇に上って次の*(2)雨乞いの歌を詠んだ。 ことはりや日の本ならば照りもせめ、さりとてはまた天が下とは。 *(1)みるめなきわが身をうらと知らねばや、かれなで海人のあしたゆく来る。 *(2)小町集に「日の照りはべる ころ、あまごひの和歌よむべきせんしありて」千早振る神も見まさば立騒ぎ、天の戸川の桶口あけたまへ。 〔関寺小町の梗概〕 謡曲「関寺小町」 ある年の七月七日の夕ぐれ、江州の*(1)関寺では住職ほか講堂の庭に集って、七夕の祭を行った。そこで 住職が言うには、この寺の山蔭に老女が庵に住んでいるが、昔歌道を極めた者であるというから、子供たちと ともに、老女の話を聞こうではないか、と提案してやがて老女に来て貰った。 住職が「寺の子供たちに歌の稽古をしているのであるが、あなたの噂を聞いて、歌の道をお尋ねしたい」と いうと、老女は「とんでもない、わたしは今は埋れ木同様の身の上で、歌のことを話すべきではない。心を種と して美しい言葉の花を咲かせ、いつもその道になじんでおれば必ず歌のよみ方を体得できるでしょう」と答える。 やがて住職と老女との歌の問答から、かの老女が小野小町あることが判りみな驚き入る。今宵は七夕、七夕星 に捧げる*(2)五色の糸を垂れた竹、杯を送り廻らせる酒宴、月光を浴びて袖を飜す子供たちの舞など。老いた 小町も浮き浮きして、老木の枝に花が咲くように、自分も舞おうとはするが、さし引く袖も舞の手を忘れ、足もとは よろめき、かろうじて袖を返しはするが、昔の花やかなころを、今に戻すことはできるはずもない。やがて、初秋 の短か夜は早くも明け方になり、関寺の鐘が鳴り、鳥がしきりに鳴いて暁を告げる。小町は、ああ朝になって しまっては、自分の姿がすっかり見られて恥しい、隠れる木蔭とてありますまいと、杖にすがってよろよろと、 自分の藁屋に帰って行った。 *(1)関寺は近江の逢阪の関の東。 *(2)和歌などの技芸の上達を願って竹に垂れ飾る。 〔卒都婆小町の梗概〕 謡曲「卒都婆小町」 かつてみめうるわしさと、驕慢で有名だった小野小町は、落ちぶれてつらい年月を送っているうちに、今は むさ苦しい姥になり、里人からもうとまれる身になり果てていた。ある日の暮れ方、今日も小町は月とともに、 西の方に都を出て行く。 小町は歩くこともやっとの思いで、途中朽ちた木に腰をかけて休んでいると、そこへ高野山から都に上る僧が 通りかかり、そこな乞食、そなたが腰をかけているのは卒都婆ではないか、もったいない、ほかの処に行って 休めととがめると、小町は文字も見えず、刻んだ形もない、今はただの朽ち木ではないかとやり返す。そこで 二人は宗教問答をする。やがて僧から問われて小町は、小野小町の成れの果てであることを語ると、僧はあな 痛わしや。昔は花のかんばせは輝き、歌を詠み詩を作り、まことに優なる女性の、今は乞食に等しい様はと、 世の有為転変を嘆く。 小町は恥しくて顔も隠せない。せめて涙を見せまいとしても、それを抑える袂さえない。しばし沈んでいたが、 急に憑かれたように声が怪しくなり、おん僧何か与え給えと物を乞う。僧はああ、昔は五月雨のように送ってくる 恋文に、せめて本心でなくとも返事をすればよかったものを、それをせずに打ち過ぎ、年老いた現在、その不徳の 報いがきたのであろう。殊に深草の少将を偽って、九十九夜も通わせた数々の恨みが巡ってきたのであろうか。 ああ、それにつけても、人は砂を集めて仏塔を造り、仏身を磨くような小さな供養を重ねることによって仏縁を得、 花を仏に供えて礼拝し、仏道に帰依して悟りを開くほかはなと、僧はしずかに自語する。 〔通小町の梗概〕 謡曲「通小町」 山城国*(1)八瀬の里の草庵に籠って修行する青年僧があった。毎日どこからともなく、*(2)女人が一人現れて、 薪にする木の枝を僧に与える。不思議に思った僧は、夏も終わりに近いある日、その日も現れた女人に名を 尋ねると、薄が生い茂っている市原野に住む姥と答え、跡を弔い給えといって、かき消すように失せた。 やがて僧は草露を分けて市原野にゆく。同行の僧が経を読むと、小町の亡霊が現われて、*(3)戒を授け給え とたのむ。僧が戒を授けようとすると、かの*(4)青年僧がこれを制止し、私と小町は二人で地獄の責め苦に逢う のさえ悲しいのに、小町だけ成仏してしまっては、われ一人さらにつらさを加え、冥途の三途の川底に落ち沈ん でしまうに違いない。一人を救うために一人を地獄に落とすことは、小町に戒を授ける甲斐もないことであろうと、 戒授させない。 青年は生前、百夜通いの苦行を果して精根を尽して死んだが、死後も相手の霊に追いすがって、その成仏を 妨げようとする、深草の少将の烈しい執念であったが、同行の僧は懺悔で罪は生滅することを教え、お互いに 懺悔して、少将の霊も小町の霊もすべて成仏する。 *(1)現在の京都市左京区北比叡山西麓。 *(2)女人は小野小町の亡霊であった。 *(3)戒を授かることによって 成仏ができる。 *(4)青年僧は深草の少将の亡霊であった。 〔清水小町の梗概〕 お伽草子中の「小町草子」 清和天皇の御宇、内裏に小町という色好みの女房がいたが、歌をよむことに勝れていて衣通姫の流れとも いわれ、美しいことはならびなく、見る人の心を悩ました。しかし、老いの波の寄せて来ている今日のこのごろ は、見る影もなく落ちぶれ、むさ苦しい草庵に一人住いして、辛くも露命をつなぎ、今はただ観音の来迎を待つ ばかりであった。 ある日のこと、その荒れ果てた草の庵の戸をたたく人があった。それは在原業平の訪れであった。小町は この人に落魄の姿をみられたことを恥じるが、やがて業平にすすめられて過去の様々の愛慾の懺悔をする。 業平は「ただ大悲をたのみ給え」と言い残し、いづこともなく消え失せた。小町はこれぞ業平ならぬ観音菩薩と 思い、発心して草庵を後に、人々から「あれぞ小町のなれの果ての姿ぞ」と囁かれ、後ろ指を指されながら諸国 を流浪して歩く。逢坂、鏡の山も過ぎ、小夜の中山、清見が関を越え、富士の高嶺を眺め、武蔵野を横ぎり陸奥に 下り、遂に玉造小野の里の露と消えた。 業平は*(1)歌枕を見ようと陸奥に下り、小野に足を止め、小町の跡を弔うと「くれごとに秋風吹けばあさなあさな」 とさやかに聞える声に、業平は「おのれとはいわじ、すすきの一むら」と下句をつけると、いづこからか美しい女房 が現われて、業平に後世の弔いを頼み消え失せた。その後には草むらのなかに、白骨と一むらの薄があるばかり であった。 *(1)歌の名所 小町は如意輪観音の化身、業平は十一面観音の化身であるという。 小町草子は物語りの終わりに「あだにもこれを思ふべからず、南無大慈観音菩薩に回向あるべし」結んでいる。 〔鸚鵡小町の梗概〕 謡曲「鸚鵡小町」 新大納言行家は勅命を帯びて、関寺のあたりを目指して急いでいた。行家が受けた勅命というのは、御門は 和歌の道に心をかけさせ給い、多くの歌を撰ばれたが、御心にかなう歌がない。このうえは、かつて隻びない 歌の上手といわれた小野小町が、年老いて関寺あたりに住うよしを聞こし召され、御歌を下され、その御返歌 奉るべしとの宣旨であった。 やがて大納言行家は小町を尋ねあてたが、昔は蓮の花のように美しかった小町は、今はあかざの草のように 醜く変り果てていた。大納言は小町の近況を問うと、小町は自分は独りで誰を待つ当てもなく、松坂や四の宮河原 や四の辻あたりをさ迷っているが、いずれは*(1)六道の巷をさ迷うことでありましょう。時に都の恋しくなれば、杖に すがり都路に立って物を乞い、乞い得ないときは関寺にしほしほと帰りますと答える。 行家は形を改めて、御門より小町におん憐れみのおん歌下されたとて、その歌を読み上げた。 雲の上はありし昔に変らねど、みし玉だれの内やゆかしき 小町は感激して、このご返歌を一字で申そうと言って、 雲の上はありし昔に変らねど、みし玉だれの内そゆかしき とよむ。行家驚いて、このような返歌はいにしえのためしがあるかと問うと、小町は歌道にいう鸚鵡かえしとは、 このことであると答え、御門に言上願いたいと頼む。かくてこの日も暮れゆくままに、行家はさらばといって都に 帰ってゆき、小町は杖にすがって、よろよろと柴の戸に向った。 *(1)京都、愛宕寺門前の道。 http://www7.plala.or.jp/mizu000/5kyuu/nanakomachi.html === '''<百夜小町(歌舞伎)>'''=== === '''<その他>'''=== ==== '''<吾妻業平色小町>''' ==== ==== '''<小野小町都年玉>''' ==== ==== '''<昔男春日野小町>''' ==== === '''<六歌仙容彩との関連性>'''=== === '''<背負う構図>'''=== ==== '''-『伊勢物語』「芥川の段」-''' ==== ==== '''--''' ==== ==== '''--''' ==== === '''〈業平と深草少将の関連性〉''' === ==== '''業平の着衣-青色と格子柄-''' ==== {| |[[画像:201-1103.jpg|thumb]] |[[画像:Z0165-389.jpg|thumb]] |[[画像:Z0350-003.jpg|thumb]] |[[画像:Z0451-397.jpg|thumb]] |[[画像:N007-008(02).jpg|thumb]] |[[画像:062-C003-041.jpg|thumb]] |} 清水の大悲の誓ひ輝きて ⑥清水小町 老残の身をみすぼらしい草庵に隠していた小野小町のもとに、在原業平が訪れ、仏に帰依せよと諭して消える。小町は、これは観音菩薩の教えであると悟り、流浪して、陸奥の玉造小野の里にたどり着き、そこで命を終える。業平は陸奥に下り、小野のすすきの原に小町の跡を弔うと、「くれごとに秋風吹けばあさなあさな」と声が聞こえた。業平は、「おのれとは言はじ、すすきの一むら」と下句をつけた。すると、どこからか小町の亡霊が現れて、業平に後世の弔いを頼み、消え失せた。その後には草むらに、白骨と一むらの薄が残るばかりであった。(お伽草子『小町草子』) http://www2u.biglobe.ne.jp/~houmei/kasi/nanakomachi.htm
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