ArcUP0454

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総合

恋合 端唄尽 小糸 佐七

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画題:「恋合 端唄尽 小糸 佐七 浦里 時治郎」

絵師:三代目豊国   落款印章:任好 豊国画(年玉枠) 

出版年:

版元名:笹屋 又兵衛

上演年月日:万延01(1860)・6月

上演場所:江戸

配役:佐七ー市川 市蔵、 小糸ー沢村 田之助

翻刻

あれみやしやんせ かいあんじ まゝよたつたのたかをでもおよびない

そへもみじかりたまくらの ナアゝ ねやのむつごとに そらみみたてて

ひとのなかさくつらにくや かわいからすと ナアゝ みないふけれど

ぬしのわかれのきぬゝは ウキ のこりおし ちよいとみそめて ナアゝ

すいたすかたにきもうかれた ちとふかめうとゝかみ 

かけておかほみたさに ナアゝ ヨヲゝ ひはいくたび いったりきたり

百度まいりも コヲ なんのその

かいあんじ― 維新前後に流行した端唄の『海晏寺』を作り替て唄ったもので、明治末期に関西地方の花柳界で行われた。

♪  アレ 見やしゃんせ 海晏寺 ままよ 龍田が 高尾でも

     およびないぞえ 紅葉狩り

♪  アレ 見やしゃんせ 与三郎 三十数か所の 刀傷

     これも誰ゆえ お富ゆえ

♪  アレ 見やしゃんせ 清玄は 破れ衣に 破れ傘

     これも誰ゆえ 桜姫

<解説>

品川の鮫洲にある海晏寺の紅葉狩りを唄っている。 奈良の龍田、京の高尾よりも 勝れた紅葉の名所だと自慢している。


題材

小糸佐七物は、元禄の頃俗謡に唄われた本町二丁目糸屋の姉妹を原拠とするが、実説に関しては明らかではない。この唄を核として宮古路豊後の浄瑠璃正本≪二世の組帯≫が享保末か元文ころに成立し、姉娘おふさ、妹娘を小糸、おふさの婿で小糸と深い仲となる相手を佐七としている。この情話を最初に歌舞伎化したのが≪皐需曾我橘≫で、曾我の世界にからめて脚色、ついで浄瑠璃に≪糸桜本町育≫と≪江戸自慢恋商人≫が上演され、歌舞伎では前者を脚色した≪本町育浮名花聟≫が中村座で五月に演じられた。書き替え物としては、≪心謎解色糸≫、≪江戸育御祭佐七≫などがある。


あらすじ

    柳橋の芸者・小糸が惚れたのは、神田連雀町の鳶頭の佐七という勢い肌の江戸っ子である。佐七は、一年前の九月の神田祭の晩、万世橋の近くで、加賀藩前田家の供廻りとの喧嘩で大立ち回りを演じ、それが仇名となりお祭佐七と呼ばれるようになった。小糸が客の倉田伴平という悪侍に手籠めにされそうになり、襦袢一枚で逃げ出して来たところを佐七に助けられた。佐七は小糸に自分の羽織を着せてやり、連雀町の吾家連れて帰った。 この時以来、二人は夫婦気取りで楽しい所帯を持つようになった。小糸の養母・おてつは伴平から金を貰い小糸を騙す。小糸の父は加賀藩の侍で、佐七にとっては親の敵なのだと小糸に嘘を言う。小糸はそれを真に受けて、この先どうせ添われぬ身の上ならば佐七の手にかかって死にたいと覚悟の遺書を書き、佐七にわざと愛想尽かしをする。小糸の変心と思い込んだ佐七は恨み骨髄。小糸が四つ手籠に乗って来る所を柳原土手で待伏せし、籠から引きずり出して刺し殺す。その時懐からこぼれた佐七宛の遺書に気付き、辻行灯の光でこれを読んだ佐七は初めて小糸の本心を知って涙するが後のまつり、小糸の敵と憎い伴平を切り殺す。

登場人物

小糸・佐七―浄瑠璃、歌舞伎の登場人物。大坂本町2丁目の糸屋の娘お房の婿となった佐七は,その妹の小糸とねんごろになり,家出する。安永6年(1777)初演の浄瑠璃「糸桜本町育」や,歌舞伎「本町育浮名花聟」「心謎解色糸(こころのなぞとけたいろいと)」(「お祭佐七」)などに,さまざまな形で登場。



配役について

佐七― 市川 市蔵(三代目)歌舞伎役者 天保4年(1833)~元治2年3月2日(1865) 享年33歳 活動期は天保8年~元治1年

初名=尾上市蔵 俳名=蝶升、別名=市川 蝶升 屋号=播磨屋 紋=三升

二代目尾上多見蔵の次男。兄に尾上松鶴がいる。初め尾上市蔵と名乗るが、母が初代市川鰕十郎の娘であったことから耐えていた名跡の市川市蔵を襲名して三代目を名乗り、天保8(1837)年秋大阪座摩の宮芝居に兄と共に初舞台を踏む。大兵で男振りがよく、立役・敵役・女方を兼ねたが、8代目市川団十郎の弟があり実事を最も得意とした。

小糸― 沢村 田之助(三代目)歌舞伎役者 弘化2年2月8日(1845)~明治11年7月7日(1878) 享年34歳 江戸生まれ

活動期は嘉永2年~明治11年 初名=沢村由次郎(初代) 俳名=曙山 屋号=紀伊国屋

5代目沢村宗十郎の次男。兄に4代目助高屋高助がいる。初め沢村由次郎と名乗る。世話物に適し、口跡、台詞、口上に音声が良く、立役も兼ねたが、女方を本領とし、将来を期待される役者だった。


台本

心謎解色糸 序幕 松本の場より

お糸 言葉のなぞや金づくで、藝子が自由になるものと、おもふてゐる番頭さん、野暮にもよつぽどあいだのある、こけの清水をあらひあげ、粋になつてくどかしやんせ。名さへ苦界とかくごして、身は三味せんのどふなろと、意地を立てるが藝者の表。頭(つむり)のかざりのこのこしかけ、ほしくばもつてゆかしやんせ。わらで結ふてもわたしはわたし、心をかざつてゐつわいなア。

トさしてゐる櫛笄をぬいてなげつける。

金六 そふいやアいつそ。

ト立ちかヽり、お糸が着物帯をひつぱぎ、長じゆばん一つにする。

東林 ハヽヽヽヽ、それが名うての芸者の形りか。

四人 ハテ、よいざまの。

トこれより三味せん入りの静かな神楽になり、このとき左七見かねたる思いれ。きてゐる夜具をぬいで、うしろからお糸にきせる。お糸見て、

お糸 ヱヽ、おまへはさつきの。

左七 わしかへ。〇 わしやアあまつり左七といふお先もの。さつきから聞てゐて、足はむづゝ、口を出したいにも、こなさんが女だけ、どふやら味におもはりやふと、飛出す虫をこ[ら]へてゐたが、あんまりな猿松めら。サア、このしかけは左七さんが、おきせ申した晴れ着だが、ひつぱいで見ねへか。それこそたちまち剣の舞、出刄包丁をまわし夜着。ほんにふとんのうら[み]なやつらだ。

トむかふ鉢巻、あげ足であぐらかくと、みなゝ氣味わるきおもいれ。

まとめ

まず、この絵の通りの配役で行われた上演はなかったことから、この絵は見立て絵であると思われる。

しかし小糸佐七物は、前述した通りさまざまな演目がある。では、どの作品がこの絵に該当するかというと、

この作品での小糸は長襦袢姿であることから台本にもある通り、心謎解色糸の「松本の場」を描いたものではないかと推測される。

松本の場は、金で身請けを要求されたお糸がそれを断り、相手に着物を剥がれ、長襦袢姿にされたのを見かねた佐七が自分の 夜着を着せてやる場面である。

この絵がこの場面を描いたものとすると、小糸が長襦袢姿だというのにも説明がつくし、作中で佐七は鳶の者とされていることから、この姿だというのにも納得がいく。



<参考文献・サイト>

『歌舞伎登場人物事典』古井戸秀夫編 東京 : 白水社 2006・5

『新訂増補 歌舞伎人名事典』野島寿三郎編 東京 : 日外アソシエーツ 2002・6

アートリサーチセンター http://www.arc.ritsumei.ac.jp

早稲田大学演劇博物館 浮世絵閲覧システム http://www.enpaku.waseda.ac.jp

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