藤原継縄

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ふじわらの つぐただ


画題

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解説

前賢故実

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豊成の第二子。学問を好む性格で文章を書くことに長けていた。累代の公卿の家柄であるため、継縄は帝に信頼と重用され、その邸宅が屡々幸されていた。延暦十五年薨去、享年七十歳。桃園右大臣と呼ばれていた。從一位を贈られた。継縄は文武の高官を歴任、右大臣という要職を務めていた。赫々たる名声がないが、謙虚で礼儀正しくて、自身の栄華を大げさに言触らさなかった。ゆえに過失もなかった。曽て勅命を受けて『続日本紀』を編纂した。

(『前賢故実』)