藤原園人

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ふじわらの そのんど


画題

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解説

前賢故実

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太政大臣を贈られた房前の孫。参議大蔵卿楓麻呂の長男。宝亀十年從五位下に叙せられ、美濃介を務めていた。備中、安芸、備後、豊後を歴任。延暦十七年、大和守、右京太夫を務めていた。園人は日頃から法規や道理を守る官吏として称されて、その治下の百姓が彼を敬愛し、しばしば生前の園人を祭る祠を建てた。弘仁中、右大臣從二位になり、同九年に薨去、享年六十三歳。帝は非常に痛惜の念に堪えず、使者を遣わして園人の葬式を護ってあげ、即日に正一位左大臣を贈る詔を下した。山科大臣と称された園人は、かつて勅命を受けて万多親王とともに姓氏録を撰した。

弘仁四年四月、皇太弟が南池に幸し、文人に詩歌を詠むようと命じた。右大臣が次の歌を詠んだ。

けふの日の いけのほとりに ほととぎす たひらはちよと なくはききつや

天皇が唱和した歌

ほととぎす なく聲きけば うたぬしと ともにちよにと われもききたり

(『前賢故実』)