藤原冬嗣

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ふじわらの ふゆつぐ


画題

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解説

前賢故実

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右大臣内麻呂の次男。温和且つ仁厚な性格で、広い見識を持ち、気品の高い人であった。文武の才があり、人との交流に寛容な態度を取っていた。左大臣正二位にまで累進した。勅命を受けて弘仁格式および内裏式を編纂した。冬嗣は、かつて施藥院を設置して貧困者や病人を収容したことがあり、または勧学院を建てて若者の教育に力を入れていた。淳和天皇天長三年薨去、享年五十二歳。正一位を贈られた。閑院大臣と呼ばれていた。

武蔵の平録事五月の詩「訪幽人遺跡」に和して作った詩

幽遁長無返(墓の主人が隠居して長くなり、ついに俗世に戻らなかった) 捐身万事睽(人が亡くなるとすべてが離れていき孤独になるものだ) 玄書明月照(明月が『老子』を照らし) 白骨老猿啼(老猿が白骨の側で啼いている) 風度松門寂(風が通る度に松のある門前が寂しくなり) 泉飛石室凄(泉のしぶきが飛ばされている中、石室が凄然としている) 白雲不可見(白雲を見ることができず) 懐古独凄凄(懐古に沈み凄凄たる気持ちになった)

(『前賢故実』)