藤原三守

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ふじわらの みもり


画題

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解説

前賢故実

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参議の巨勢麻呂の孫。温和で慎み深く、明達で決断力があった。若くして大学に入り儒家の経典を研鑽し学業を励んでいた。從二位右大臣にまで累進した。貴顕の後人であるにも関らず、文人を招き対座して歓談することを好み、道で文人に出逢ったら下馬して挨拶をしていた。弘仁中、藤原冬嗣、藤原葛野麻呂、秋篠安人、橘常主等とともに、詔を奉り格式を編纂することになったが、三守以外の四人が相次いで亡くなったため、三守は一人で研究を続け、論説を定め、天長七年に編纂した格式を献上した。承和七年薨去、享年五十六歳。後山階大臣と呼ばれていた。

(『前賢故実』)