菅野真道

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すがのの まみち


画題

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解説

前賢故実

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その祖先は百済の人。父は山守。はじめは攝津連を賜り、宝亀九年に少内記に任ぜられた。伊予守、皇太子学士などを歴任。延暦九年、姓を連から朝臣へ改めたいと上表すると、菅野朝臣という姓を賜った。大同二年、山陰道観察使を務め、十一月に民部卿に任ぜられた。同三年左大辨、同四年從三位宮内卿に昇進した。同五年、参議を務め、近江守を兼任、七月に常陸守に任ぜられた。弘仁二年正月に官職を退いた。大同五年薨去、享年七十四歳。真道は右大臣藤原継縄、少納言秋篠安人等とともに、勅撰の続日本紀を編纂したことがある。

晩夏の神泉苑(応製)

王母仙園近(西王母の庭園が仙宮のすぐ側にある) 龍宮宝殿深(龍宮の宝殿が奥深い) 追涼天駅幸(納涼のために天皇が馬に乗って神泉苑に幸す) 縦賞鳳輿臨(思う存分に庭園の景色を観賞するために皇后が輿に乗って神泉苑にくる) 竹疏長竿節(密生していない竹の長い幹は節が目立つ) 松傾小蓋陰(傾いている松は少し日光を遮っている) 醉臣迷聖造(酒に酔った臣下は神泉苑で道に迷い) 唯有歳寒心(困り果てた思いだけが残っている)

(『前賢故実』)