菅原清公

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すがわらの きよきみ


画題

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解説

前賢故実

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遠江介古人の子。古人は儒家の理念に沿って言動し、世俗を超越しているところがあり、実直で節操を守っていた。清公は少年時代より史書や儒家の経典を博覧していた。延暦中、詔を奉り東宮に侍していた。若くして文章生の試験に合格し、秀才に推挙された。後に、遣唐使判官を務め、唐より帰国した後は大学助となった。しばらくして文章博士として嵯峨天皇の侍読を務めた。天長元年、清公が播磨権守を務めていたとき、公卿たちが揃って「国家元老の清公が朝廷に留まるべきだ」と上奏したため、清公は京へ召還されて再び文章博士になり、從三位を叙せられた。このときの清公は、老いと病気に侵され、歩行すら難しい状態だったので、帝のご好意により牛、馬の車に乗って南大庭前の梨樹の下での下車を許された。その後、病のため次第に朝廷に出なくなり、承和九年薨去、享年七十三歳。

歳去纔移月(旧年を送り新年を迎えてやっと一月を経ち) 年光處處賒(至る所で歳月の悠長さを感じさせる) 和風催柳絮(暖かい春風が柳絮の飛散を促し) 殘雪伴梅花(残雪が梅花に付添う) 樹暖鶯能語(冬から蘇った樹木の上で鶯が啼き) 藂芳蝶自奢(春の花が咲き誇るところで蝶蝶が舞い驕る) 一馳千里月(月が照らす遠いところへ思いを馳せ) 春思忽紛絮(春の情緒が忽ちに絮のように散り乱れた)

(『前賢故実』)