大蔵善行

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おおくらの よしゆき


画題

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解説

前賢故実

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文学において世に名高い。貞観十七年、勅命により蔵人所で侍ることになり、御書の校正や顔氏家訓の講読を務め、宮中で貴族出身の若者を教育していた。翌年、講義が終ると蔵人所で御宴が開かれ、文章生を呼寄せて詩を詠ませた。元慶七年、存問渤海客使に任命され、出発する前に陛下に謁見し、御衣、袴をそれぞれ一セット賜った。寛平中、從五位上を叙せられ、勘解由次官となり、三河権介を兼任し、大外記の官職を続けて務めた。この時は、左大臣の藤原時平とともに勅命を奉じて、三代実録を編修した。延喜元年、七十歳になる善行のために、時平は当時の英俊たちを集め、京都の南の水石亭で、善行の七十の賀を祝った。この時の出席者は116人に達し、詠まれた詩歌は後世に伝わっている。時平は弟子として自ら礼儀を尽していたので、周りの人々も時平に倣い善行のために祝宴を賑わせたのだ。

惜秋翫残菊(秋を惜しんで残菊を翫ぶ)

黄星星与白皚皚(少ない残菊は黄色く輝き、周りは雪で一面真白いだ) 野種疎根禁掖栽(宮中では菊の野生種や希少種が植えられている) 増暎応同残月照(残菊は残月に映え輝きを増し) 孤奢不被暁霜摧(孤独で美しい姿が明け方の霜にも挫けなかった) 多憐晩色寒初綻(寒くなりはじめた頃に、季節に遅れて咲いた残菊は哀れだ) 難見鮮花歳尽開(歳末に生花が咲くことは滅多に見られない) 此艷那逢秋後発(美しい残菊は秋の終り頃に多く見かけるようになる) 驚人莫報漏頻催(残菊に驚かされた人は、刻漏の催促を恨んではいけない)

(『前賢故実』)