大神高市麻呂

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おおみわの たけちまろ


画題

画像(Open)


解説

前賢故実

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高市麻呂の先祖は素戔嗚尊の子孫。高市麻呂は大国主の六世孫。高市麻呂の父は利金といい、大華上の冠位と持っていた。壬申の乱のとき、大伴吹負が倭で豪傑を招集したことがあって、高市麻呂は招集に応じた。高市麻呂は兵を率いて、箸陵で大友皇子(弘文天皇)の軍勢を大きく破った。また、廬井鯨の軍の退路を断ったため、鯨は敗走した。壬申の乱の後、直大弐中納言の職に任ぜられた。持統天皇六年、天皇の伊勢行幸計画に対して、中止するようと諫めたが、認められていなかった。都での留守官が任命されると、高市麻呂は位を示す冠を天皇に差し出し、「今、車駕を動かして遠方を行幸することは、農務を妨げることになる。」と重ねて諫めた。しかし、天皇はやはり聞入れてくれなかった。そして、高市麻呂は官職を辞して退いた。世間の人は高市麻呂を尊敬して、彼を神納言と称えた。

従駕応詔(詔に応じて駕に従う)

臥病已白鬢(病に臥してすでに鬢が白髪になった) 意謂入黄塵(心の中ではそろそろあの世へ行くのではないかと思ったが) 不期逐恩詔(期せずして天皇のお招きを頂くことになった) 従駕上林春(天皇の御車につき従って春の上林へ行った) 松巌鳴泉落(松の聳える巌より滝が流れて響きをたて) 竹浦笑花新(竹藪つづきの水辺には花がさきほころんでいた) 臣是先進輩(臣は礼楽に疎い古参だ) 濫陪後車賓(天皇の御車に続く車に乗車した文臣の相手をみだりにしていた)

(『前賢故実』)