大江音人

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おおえの おとんど


画題

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解説

前賢故実

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菅原是善に師事、博学で文才があった。文章生および秀才に及第していた。貞観中、從三位左衛門督にまで昇進、のち検非違使別当、侍読を務めた。六十七歳で亡くなった。かつては、勅命を受けて弘帝範三巻、群籍要覧四十巻を編纂、さらに是善とともに貞観格式を選定した。音人は貞観格式の上表文および式序をも書いた。長岡京にある牢獄が朽ち壊れて、逃走する囚人が多かった。音人の提議によって、牢獄は平安城へ移されて、それからは囚人の逃走が無くなった。また、音人はよく食べ物を用意して、路上の貧しい人たちに与えていた。

花落鳳台春(美しい楼台に花が落ちてくる春)

若非宋玉粧重下(宋玉が賦で巫山の女神を美しく描けなかったら) 疑是襄王夢不長(楚襄王の春夢が長くなかったと人々が疑うだろう) 吹乱綺窓風色脆(風の中で装飾のある窓が激しく揺れ動くほど天候が悪くなり) 灑来昧砌雨聲重(雨が降ってきて、暗い石畳に当たる音が重い)

(『前賢故実』)