大江維時

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おおえの これとき


画題

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解説

前賢故実

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千古の三男。若くして文章生となり、策試で秀才に抜擢された。天暦中に参議を務め、天徳四年に中納言へ栄進した。博識で儒家の経典や史書を熟知していた。また、平安遷都以降の邸宅の変遷、人物の死亡などの年月について、すべて記憶していた。維時は、かつて醍醐天皇の勅命を受けて上園にある花や草の名前を記録したが、平仮名で書写したため、皆に漢名が知らないと笑われた。維時は「人が難解になってしまうのを恐れたからだ」と説明したが、帝に漢字で書こうと命じられて、維時が直ちに漢字に直して献上した。だが、案の定人々は漢字だけでは分からなかった。朱雀天皇、村上天皇、冷泉天皇、円融天皇の御諱は、すべて維時が選んで進上した。これは維時の栄誉だと人々が思っていた。応和三年薨去、享年七十六歳。

唳雲胡鷹遠(遠く飛んでいく胡鷹の鳴き声が雲に響く)

唳雲胡鷹向衡陽(衡陽へ向かう胡鷹の鳴き声が雲に響き) 漸滅遙天不辨行(次第に空の彼方に消えて行き、胡鷹の行方が分からなくなった) 遮月色濃嘶杳杳(月を遮る雲が黒くて、遠くから馬の鳴き声が伝わってきた) 破風膚薄叫蒼蒼(破風が薄くて、風の中で煩く唸り続けた) 声寒思婦閨中涙(淋しく感じる音を聴き、夫を思う女性が涙を流す) 聴暗征人隴外腸(暗闇の中から伝わってきた音を聴き、征戦へ行った人が山の向こうで感傷に浸る) 寥廓路開銀漢遠(広い空に遠い銀河へ続く道が開かれ) 高翔何必独鸞鳳(高く飛翔する者は鸞鳳とは限らない)

(『前賢故実』)