上毛野穎人

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かみつけぬの かいひと


画題

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解説

前賢故実

上毛穎人を見よ。

從五位下大川の子。文章を多少習った。延暦中、遣唐録事に任ぜられた。唐にいたとき、通訳の語る言葉が通じない場合、口の代わりに筆を使って文字で双方の意思を疎通させた。この功により穎人は帰国後に外從五位下に抜擢された。大同五年、平城上皇が平城宮へ移したとき、穎人は随行して仕えていた。上皇が奸人の言うことを聞入れ、挙兵のために東国へ行こうとしたとき、上皇に仕えてきた人々は驚きのあまりひどく取乱してしまった。穎人は脱出して京へ入り、上皇のことをすべて天皇に報告した。この功により從五位上を授けられた。後に東宮学士に任命され、從四位下に叙せられ、民部大輔にもなった。弘仁十二年卒、享年五十六歳。

春日に田舎に帰る

干禄終無験(禄位を求めていたが結局は甲斐がなかった) 帰田入弊門(田舎に戻り壊れかけの門をくぐり入った) 庭荒唯壁立(荒れ果てた庭に壁だけが立っている) 籬失独花存(籬が無くなり花だけが咲いている) 空手飢方至(てぶらのままでお腹がすいてきた) 低頭日已昏(うつむきになり日がすでに黄昏だ) 世途如此苦(このように人生は苦いものだ) 何処遇春恩(何処に春の恩情に巡り会えるだろうか)

(『前賢故実』)